歌川広重が浮世絵に描いた寿司屋台の様子
歌川広重が浮世絵に描いた寿司屋台の様子
くら寿司がグローバル旗艦店としてオープンした「浅草ROX店」
くら寿司がグローバル旗艦店としてオープンした「浅草ROX店」

 筆者はくら寿司の広報を務めています。ご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、先日、某テレビ局の番組で、一流の寿司職人の皆さんに、当社のお寿司を判定していただく企画が放映されました。

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 その際に一流と言われる職人の方々とお話をする機会を得ることができましたが、やはりその道を極められた方々の、お寿司に関するこだわりやノウハウ、プライドは素晴らしく、ただただ感心させられ、勉強させていただくことも多かったです。

 ところで皆さんは、お寿司の生い立ちをご存じでしょうか?

 元々お寿司と呼ばれるものは、東南アジアから中国を伝わって、縄文時代の終盤に稲作とともに日本に伝えられたと言われています。

 その頃のお寿司は、熟(な)れ鮨と呼ばれ、魚にお米と塩をつけて発酵させた、現在琵琶湖周辺で作られている鮒鮨(ふなずし)のようなものでした。

 それが室町時代になると、本来は数カ月かけて発酵させるものを、まだ十分に発酵しきらないうちに食べたり、発酵によって生成される酸味を、お酢によって代替したりして、短期間で食べられるお寿司が生まれました。

 そして江戸時代の後期に、気の短い江戸っ子のニーズに応える形で、酢飯に魚を乗せてすぐに食べる早寿司が考案されました。これが現在のにぎり寿司のルーツです。

 当時のにぎり寿司は、大きさが現在の3倍から4倍の大きさで、お寿司というより、ちょっと小さめのおにぎりという感じだったようです。

 そして提供されるのも屋外の屋台が中心で、庶民がおやつ代わりにちょっとつまんで食べる、とても身近なものでした。

 まだ冷蔵庫はもちろん、製氷技術も確立されていない時代ですので、ネタも鮮魚ではなく、酢で締めたコハダや、アナゴやアサリなどの煮付け、マグロの醤油漬けなどでした。

 価格は、現在の価格にして150円から300円程度と庶民的なものでした。

 ただ現在と違うのが、アナゴやコハダ、マグロ(赤身)などが一律150円程度だったのに対して、当時300円程度と一番高価だったのが玉子焼きだったということです。当時はまだ卵が貴重品だったということでしょうね。

 一方で、現在は高級なネタの代表であるトロは、脂っぽいということでまったく人気がなく、家畜の餌や肥料にされていたとのことです。なんとももったい無い話ですね。

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岡本浩之

岡本浩之

おかもと・ひろゆき/1962年岡山県倉敷市生まれ。大阪大学文学部卒業後、電機メーカー、食品メーカーの広報部長などを経て、2018年12月から「くら寿司株式会社」広報担当、2021年1月から取締役 広報宣伝IR本部 本部長。

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お寿司が2貫で提供される理由は?