そこからさらに二十余年。ミランダ事件の翌年に開かれた東京五輪が再びやってくる2020年になっても、日本では相変わらず取り調べへの弁護人同席は認められていない。

「警察や検察は、自由に取り調べて自白から犯罪を暴き出したいという思考回路から脱却できておらず、裁判も自白と調書を中心に進められる。この自白偏重構造を根本的に見直す時期はとっくに来ている」(島弁護士)

 例えば刑事訴訟法321条は、共犯者や目撃者などの供述調書の証拠能力について定めている。検察官が作成したものについては、供述者が法廷に出席できないときはもちろんだが、法廷に出席して証言した場合でも、その内容が事前に記録された書面と異なった場合は、書面のほうを証拠として採用できるとしているのだ。

「法廷で尋問され、共犯者の記憶がよみがえって証言が変化することは当然あり得ます。そうした過程を経て、証言が持つ証拠としての精度を高めていくのがあるべき姿のはずです。なのに、内容が矛盾した瞬間に捜査段階の検面調書が証拠になってしまう。もちろん100%ではありませんが、裁判官は事実関係の整った調書を信頼する傾向にある。自白や調書に軸足を置いた人質司法の問題の根は深い」

(編集部・大平誠)

AERA 2020年1月20日号より抜粋