緩和ケア病院に移った日は幼なじみの誕生日/2017年10月、横浜市内の緩和ケア病棟で。宿原さん撮影
緩和ケア病院に移った日は幼なじみの誕生日/2017年10月、横浜市内の緩和ケア病棟で。宿原さん撮影
「きょうは笑ってくれるかな。ちゃんと食べてくれるかな。そんな思いで必死に寄り添う家族に必要なのは笑いではない。ACPについての正しい情報です」(河合さん)
「きょうは笑ってくれるかな。ちゃんと食べてくれるかな。そんな思いで必死に寄り添う家族に必要なのは笑いではない。ACPについての正しい情報です」(河合さん)

 人生の最後をどのように過ごしたいか。ポスターの配布取りやめで話題になった「人生会議」は日常生活でこそ、必要なことだと体験者は語る。迷い、揺れて構わない。大切なのは、何度でも話し合うことだという。AERA 2020年1月13日号ではアドバンス・ケア・プランニング(ACP)の本質を伝える。

【炎上騒動となった「人生会議」のポスターがこちら】

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 横浜市の宿原寿美子(じゅくはらすみこ)さん(59)は2017年夏、小学校からの幼なじみの女性を後腹膜腫瘍(しゅよう)というがんで見送った。

 がんが見つかったのは同年4月。すでに骨転移していた。女性は離婚していて2人の娘がいた。80代の両親、弟夫婦も近所に住んでいたが、本人の希望もあり、死化粧師として活動する宿原さんが医師との面談に立ち会った。

 話し合いの末、緩和ケア病院に移ることが決まり、転院して最初のカンファレンスにも同席した。前の病院で点滴していた鎮痛薬の量を聞いた医師は驚き、「それだけ打っていたら苦しいよね」と声をかけた。その瞬間、「この先生ならわかってくれる」と女性の表情が和らいだ。

 痛みはひどいはずだった。しかし、女性は強い医療麻薬であるオピオイドを打つことは拒否し続けた。「意識が朦朧(もうろう)としたら娘たちと話すことができなくなるから」だ。残された少ない時間、女性がいちばん大切にしたかったのは、娘たちと過ごすひとときだった。医師も看護師も「我慢しすぎても体に悪いからね」と伝えつつも女性の希望を尊重し、オピオイドの量を調整したという。

 女性は年老いた両親が見舞いに来ると、「来なくていい」ときつい口調で言うことがあった。「つらそうな両親を見るのがつらいから」と宿原さんには打ち明けた。さまざまに揺れ、移り変わる気持ちを共有しつつ、宿原さんと医療スタッフは寄り添い続けた。緩和ケアに入って3週間後、女性は穏やかに亡くなった。

 人生の最終段階にどんな医療やケアを望むか。家族や信頼できる身近な人、医師などの専門職と話し合っていく取り組みを、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)という。2014年にモデル事業としてスタートした取り組みだが、厚生労働省は一昨年11月、ACPの愛称を「人生会議」と名づけ、啓発活動に力を入れ始めた。昨年11月下旬にはタレントを起用したPRポスターを発表。「あーあ、もっと早く言うといたら良かった!」と苦しそうな表情で訴える内容が、「患者や家族の不安をあおる」などとして批判を浴び、厚労省は自治体への発送を取りやめた。

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小長光哲郎

小長光哲郎

ライター/AERA編集部 1966年、福岡県北九州市生まれ。月刊誌などの編集者を経て、2019年よりAERA編集部

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