「沖縄の人たちの心の内には、基地はいやだ、平和な島に戻りたいという思いが抜け難く刻まれているのだと痛感しました。『怒れる沖縄』の声を聞かなければ、という認識が当時の全国世論や政府にもありました」

 大田知事は、沖縄県内のすべての米軍基地を段階的に撤去する返還計画を策定。米軍用地の継続使用に必要な代理署名を拒否して国と最高裁まで争った。

「本土から来たわれわれにとって大田知事のメッセージは痛烈で、沖縄の要求がどこに向かうのかわからない不安さえありました。当時は本土の誰もが沖縄についての素人でした。本土にとって都合のいい沖縄しか見てこなかったわれわれ本土の人間は、沖縄の人たちが本気で怒っていることに動揺し、だからこそ、当時の政権も自民党も懸命に耳を傾けました」

 こう話すのは、91年から5年間、沖縄放送局で大田県政を取材した元NHK記者のジャーナリスト、立岩陽一郎氏(52)だ。

「沖縄はこの20年間の選挙や県民投票を通じ、県内に新たな基地を造らずに普天間飛行場を返還してほしい、という民意を丁寧に固めてきました。今の沖縄県政は、米軍基地をすべて撤去しろとも、独立したいと言っているわけでもありません。沖縄内部の議論は成熟し、論点は『辺野古』にほぼ集約されています。沖縄だけにいつまで過重な基地負担を負わせるのか、と本土に問うているのです」

 立岩氏はまた、吉村知事の言動を「大阪都構想で支援を得るため政権の顔色をうかがっているにすぎない」と解説する。

「政策をめぐる国との対立は、どの自治体にも起こり得ることです。沖縄では『辺野古』で表面化していますが、それは県民投票などで示された民意に沿う県の当然ともいえる判断が働いているからです。一方、吉村知事が掲げる大阪都構想は住民投票で否決されても再提案を画策する、これこそ知事の政治的志向に依拠するものです。吉村知事が沖縄のキャラバンを『政治的』と批判するのはお門違いなだけでなく、自らの姿勢と整合が取れていません」

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