「でも、利用者たちがなんとか平安に暮らせるように、祈るぐらいのことしかできません」

 今回の裁判に対する思いも、複雑だ。

「裁判にはあまり期待していません」

 と言う。植松被告が本当に心から反省してくれたら、裁判の意味はあると思う。だが植松被告は、一貫して「意思疎通のとれない障害者はいらない」と差別的な動機を語り、殺傷行為を正当化している。こうした報道を見聞きすると、裁判に期待できるとは思えない。それでも植松被告には、こう言いたいと話した。

「彼も人の子ですから、何かのことで心がほどけることがあるかもしれない」

 裁判では、1人を除き被害者の名前を伏せたまま審理が進められ、傍聴席に遮蔽板を置いて他の傍聴人から見えないようにする措置も取られていている。

 植松被告は起訴内容を「(間違い)ありません」と認めた。しかしその直後、首付近を両手で押さえるようなしぐさをして前かがみになったため、刑務官が制止。暴れだしたため、裁判長が一時休廷し、その後、被告不在のまま審理を再開した。弁護側は心神喪失か心神耗弱の状態にあったとして、無罪もしくは刑の減軽が相当と主張している。

 彼は、犯した罪に向き合う思いはあるのか。(編集部・野村昌二)

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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