そう読めば、確かに成立する。言葉は文脈や感情とともにあるからだ。安藤教授は言う。

「論理と文学は切り離せるものでなく、車の両輪。どちらも必要なんです」

 アンケートでも、優先度や配分の考えの違いはあれど、同様の回答が少なくなかった。問題は、新指導要領が“どちらか”しか選べない設定になっていることだ。名古屋大学教育学部附属中・高等学校国語科の加藤直志さん(43)は言う。

「新指導要領は『実用的な文章』と『文学』をむりやり切り分けたうえで、個々の単位数が4と大きいためどちらか一方の選択を強いる設定になっている。それが最大の問題。いずれも必要で、その扱い方や比率は各学校の教員の判断に委ねるべき」

 こうした声を受けてか、標準単位より減らす「減単」に文部科学省が言及するようになった。大滝一登・視学官はこう説明する。

「学習指導要領では標準単位数を示していますが、生徒の実態などを踏まえ、当該科目の目標の実現が可能であると判断できる場合には、少ない単位を配当することが認められています。判断するのは各自治体の教育委員会ですが、減単の検討をしているところもあるようです」

 加えて、高校の現場からは教育環境の整備も欠かせないとの声が上がる。北海道の国語教員の女性(51)は言う。

「高校卒業までにリポートを書けるようにとか、論理国語の必要性もわかる。しかし添削作業は非常に手間がかかる。実現するには少人数クラスにし、いまの倍近くの国語教員が必要です」

 昨年12月上旬、PISAの結果が発表され、日本の生徒たちの読解力の低下があらためて話題となった。『国語教育の危機』の著書がある日本大学の紅野謙介教授(近現代日本文学)は次のように語る。

「今回の国語改革は、AIやグローバルなどの言葉を使い不安や恐怖心をあおってくるのが特徴。PISAの調査についても、受験したのは15歳。高校1年の1学期で、小中学校の教育結果が反映されました。高校国語の改訂は『改革が進んでいる、小中学校の指導要領にならえ』というもので、むしろ読解力の低下を招く危険性がある。PISAの指標そのものを疑問視する声もあり、いずれにしろ落ち着いた議論が必要です」

 国語力の現状認識について、確かなデータや根拠に基づく共有から始めることも不可欠だ。(編集部・石田かおる)

AERA 2020年1月13日号より抜粋