平成元年に「誕生」した獣神サンダー・ライガー。その闘いは平成という時代を体現してきた(写真:gettyimages)
平成元年に「誕生」した獣神サンダー・ライガー。その闘いは平成という時代を体現してきた(写真:gettyimages)
vs.鈴木みのる (2019年10月14日)/掌底とエルボー、互いの意地のぶつかり合い。鈴木がライガーに引導を渡し、座礼で敬意を示す姿に会場は涙(写真:gettyimages)
vs.鈴木みのる (2019年10月14日)/掌底とエルボー、互いの意地のぶつかり合い。鈴木がライガーに引導を渡し、座礼で敬意を示す姿に会場は涙(写真:gettyimages)

 1月5日に迫った獣神サンダー・ライガーの引退試合。平成元年に「誕生」し、そのキャラクターと華麗な技、圧倒的な試合巧者ぶりで、体の大きなヘビー級レスラーたちとも渡り合ってきたライガー。レスラーとしての活躍はもちろんだが、ライガーの魅力を語る上で外せないのが、人材を発掘する力だ。

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※『引退の獣神サンダー・ライガー 「小が大を食う」で人々に見せた希望」』より続く

「出身がどこであろうと関係ない! イイもんはイイんだよ!」という確固たる信念で国内外の他団体・インディーズ団体の選手をもメジャーなマットに引き上げ、ザ・グレート・サスケ、オカダ・カズチカといったきら星のごとき人材をスターダムに押し上げてきた。
 
 1990年代ごろからあまたのインディー団体が存在するようになった日本のプロレス界。ライガーはそこから今は亡きハヤブサや、その後に岩手県議会議員にもなったザ・グレート・サスケらキラリと光るダイヤの原石を拾い上げ、自らとの対戦を通じて磨き上げ、大きな世界で羽ばたくための翼を与えてきた。

 今やすっかりプロレス界を代表する顔となり、令和元年のプロレス大賞を受賞したオカダ・カズチカも、若き頃は修行先のメキシコでなかなか日の目を見ないレスラー生活を送っていたところをライガーに見いだされた。

 1月4日にそのオカダと相まみえ、団体最高峰のベルトに初めて挑む飯伏幸太は「文化系プロレス」の異名も持つインディーズ団体で、常人には理解できないような闘いを繰り広げていたころ、ライガーに目をかけられてスターへの階段を上った。

 現在、プロレス界が再び脚光を浴びているのも、彼らの将来性を見抜いたライガーの目利き力があったからこそ。それを支えたのが、出身母体にとらわれずレスラーをリスペクトするライガーの姿勢だ。あるいはそれは、体格の問題からまずメキシコに渡り、そこで故・山本小鉄に見いだされたという自身の来歴からくるものなのかもしれない。

 そのライガーの引退試合は、12月に頚椎の大怪我から復帰したばかりで、今後のジュニアヘビー級の継承者の一人と目されている高橋ヒロムと、団体と親交の深いメキシコのCMLLに所属していたリュウ・リーとのタッグマッチに決まった。

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