「かすかに青くなった炭は黒光りしていてとてもきれいだった」

 彼女にとって破片を拾うことは、自分の気持ちと向き合うことでもあった。

 沖縄にはマブイグミという儀礼がある。マブイとは沖縄の言葉で魂のことをいい、人は複数のマブイを持っていると考えられている。しかし、高いところから落ちたり交通事故にあったりするなど、急なショックを受けるとマブイが身体から離れてしまう。すると人は衰弱し、マブイがそのまま戻らないと死を迎えると考えられている。その離脱したマブイをとりもどす儀礼がマブイグミだ。

 炭となった首里城の破片を拾い集めること、それこそがマブイグミだろう。SNSに、散乱する炭を拾っていることを記す人が何人もいた。

 首里城の焼失は、本土を含め世界中にいる、多くのウチナーンチュのマブイを落としてしまうほどのショックを与えたのではないだろうか。実際に、筆者を含め周囲にも、しばらく体調を崩した人や会社を休んだ人がいる。

 首里城とは私たちにとって琉球・沖縄の歴史や文化だけではなく、沖縄戦の傷痕から立ち上がるシンボルでもあった。沖縄の抱える問題に対して心ない言葉を投げかけられたときも、ウチナー(沖縄)を愛する気持ち、歴史や文化への誇りが自分を励ましてくれた。その大事なシンボルが首里城だったのだ。

 出火の責任について、早期再建に向けて、寄付金がいくら集まっているかなどと話はどんどん進んでいるが、そこに気持ちは置いてきぼりになってしまわないだろうか。私たちが落としてしまったものは一体何なのか。一つひとつゆっくりでもいいから拾い集めていきたい。(写真家・ライター・普久原朝日)

AERA 2019年12月9日号