首里城焼失から1ヵ月。地元の人々は焼けたあとの炭を拾い集めながら自分の心に向き合っているという。その行為は沖縄に伝わるマブイグミ(ショックで離脱した魂を取り戻す儀礼)を彷彿とさせる。AERA 2019年12月9日号では沖縄在住のライターが地元の人々の思いを綴った。
* * *
空気が白くかすむ昼すぎ。沖縄県那覇市北東部、首里城があった周辺の街を歩いていると、足元でパキパキッと乾いた音が鳴っていることに気がついた。見るとあたりには黒い塊が無数に散らばっている。
10月31日、首里城は炎に包まれた。出火から11時間ほどたち鎮火したときには、正殿、北殿、南殿などが焼失していた。ウチナーンチュ(沖縄の人)たちの心の拠り所が、失われた。
筆者(25)も沖縄に暮らす。あの日の朝、寝ぼけた頭で見た燃え盛るすさまじい絵が頭から離れない。首里の街を歩きながら、おのずと手はその黒い塊に伸びた。炭と化した首里城のかけらを拾い集めたのだ。
誰も予想だにしていなかった首里城の焼失に遭遇し、ウチナーンチュは例えようのない深い悲しみに包まれている。炎の勢いはすさまじく、焼けたあとの炭は那覇市北東部の至るところに落ちていた。
「パチパチと音が聞こえ、においもした」
あの日、那覇市に住む西永怜央菜さん(24)はサイレンに起こされ、首里城が見える龍潭(りゅうたん)通りに駆け付けた。そこには同じように何も言葉を発することができず、ただ呆然と立ちすくむ多くの人たちがいた。首里城に向かいウートートー(手を合わせてお祈り)する手は震えていた。
翌日、首里地区にある自身の大学のキャンパスに行くと、炭と化した首里城の破片が落ちていた。復元のために携わった研究者、漆塗り職人など多くの人たちのことを思うと、涙さえ出てこなかったという。木がどうやったらこの形になるのだろうか。とても軽い首里城の破片にはたくさんの情報が詰まっている。拾っているときは無心で手が先に動いていた。