内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数
内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数
※写真はイメージ(gettyimages)
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 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

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「もう一つの真実」という言葉を最初に使ったのは、トランプの大統領顧問ケリーアン・コンウェイである。大統領就任式に集まった人数について「過去最高」と言った報道官のあからさまな嘘を取り繕ってこう言ったのである。

 人によって、その政治的立場や信教の違いによって、あるいは階級や性別によって、世界の見え方は違う。これはその通りである。別にコンウェイの創見ではない。社会的属性が違えば、世界の見え方も変わるということを指摘したのはマルクスから、フェミニスト、ポストモダンの思想家たちまで枚挙にいとまがない。ただ、それが「嘘の言い訳」に使われるようになったのは比較的最近のことである。

 この世に「客観的事実」なるものは存在しない。だから、すべての世界認識はそれぞれの主観的偏見に過ぎないという主張には一理ある。だからと言って、すべての主観は等価であるということにはならないし、万人は「客観的実在」のことなど気にかけず、自分の気に入った妄想のうちに安らぐ権利があるということにもならない。それは「いくらなんでも非常識」だからである。「間違っている」と言っているのではない。「非常識だ」と言っているのである。

「間違っている」と「非常識」は話のレベルが違う。正否については断じられないが「いくらなんでも非常識」という理由で退けることはできる。世事のほとんどは、実はそれで収まるのである。「理屈ではそうでも、それじゃあ世間は通らないよ」というのは大人が子どもに人の道を説く時の常套句である。

 旅に出て「われわれの考えとはまったく反対の考えを持つ人々」に出会ったデカルトは、彼らもまたそれぞれ理性的に推論しており、「みなが野蛮で粗野なのではない」ことを知った。その上で、「明証的に真であると確定されない限り、いかなるものも真とは認めない」という厳密さは譲らぬまま、日々の暮らしにおいては、「最も穏健で、極端でない意見に従っておのれを律する」ことを推奨した。デカルトが今の日本を見たら、「もう一つの真実」は溢れているが、「分別」が足りぬと評することだろう。

AERA 2019年12月2日号

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内田樹

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内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

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