永遠に生きる魂を小箱にしまう。閉じた世界に永遠があるという小川作品のまさに凝縮されたものとの出会いだった。

 それから、その小箱の世界にいろんな人が集まってきて、小説はつむがれたそうだ。歌声で話すバリトンさん、その恋人は子どもを亡くした。園庭の鉄棒で大車輪をするクリーニング店の奥さんも、お弁当を売る従姉も子どもを亡くしている。元産院も爆破解体されてしまう。もう産声も聞こえない。世界の終わりのように──。

 でも、そこで時は止まっていない。痛みを抱えてひそやかに生きる人たちがいて、亡き子どもの未来を思い、学校のドリルやお酒をおさめる小箱には、死と生をつなぐ時間が流れている。

 そんな死と生のあわい、地続きの世界を小川作品はずっと描いてきた。

 故人にまつわるものを並べるイメージから、小川さんが19年前に出版した『沈黙博物館』を思いおこす読者もいるだろう。亡くなった村人を記憶する証しとして、博物館技師の「僕」は形見を盗んできて展示する。過去をおさめるか、今作のように未来をおさめるか。

「似ていて、じつは正反対のことなんだと気づきました。あれを書いたときは若かった」

 と小川さんはほほえむ。子どもが死んでも育てたいという親の気持ちの底知れなさがいま、身にしみるという。(朝日新聞記者・河合真美江)

AERA 2019年11月18日号より抜粋