「いま考えると狂気じみていますが、ネタというか、書くテーマに困ったことはなかったんです。陽の差さないアパートにほぼ3年間、こもりきりでした。誰とも会わず、どこにも遊びにいかないで書いていました」

 大きめの事務用紙にびっしりと筆圧の強い文字を一心不乱に刻み、推敲しながらパソコンに打ち込む。当時は「はやく俺を見つけないと文壇の損失になる」と思っていたほど、根拠不明の自信が漲っていた。現在は、自宅の近所にある共同玄関・共同シャワーの木造の古びたアパートを仕事場として借りている。

 この頃には、村上龍、村上春樹、東野圭吾、宮部みゆきなどの現代作家の売れ筋も読んでいたし、ドストエフスキーからコーマック・マッカーシーまで新旧の海外文学も愛読書となっていた。漫画家の新井英樹の『ザ・ワールド・イズ・マイン』にも衝撃を受けた。古今東西新旧のあらゆる表現を取り混ぜて吸収し、すべてが引き出しになった。

 しかし、その3年間のうちに書いたものは新人賞を取れず、30歳を迎えた。そこで一念発起する。これからの1年間、毎月書いて応募していき、賞を取れなかったらプロの小説家を目指すのをやめると決意した。ハードルをさらに上げたのだ。インスタントラーメンをすすり、ガスや電気を止められたこともあった。

「小説家としてプロデビューしたい一心だったんです。ほかの人がやらないことをやらないとブレークスルーできないと思った。あのころは、ふつふつと煮えたぎるものがありました」

(文/藤井誠二)

※記事の続きは「AERA 2019年11月18日号」でご覧いただけます。