米軍の占領下、米国が擁立したイラクの新政府は、クルド部隊が同国北部を実効支配している状況を認めざるをえず、05年の新憲法で北部4県をクルド自治区と定めた。自治区は議会も、独自の強力な民兵組織「ペシュメルガ」も持っており、実質的には「独立国」に近い。

 イラクの西隣のシリアでは11年からアサド政府に対する内戦が始まった。米国は打倒アサド政権を目指し、反政府勢力であるアルカイダ系の「ヌスラ戦線」や、凶悪な行動でそれからも破門された「イスラム国」(IS)を支援。武器を供与、訓練もした。

 ところがISは14年、突如イラク北部の主要都市モスルなどを占拠、急速に南下してバグダッドに迫った。イラク軍が潰走する中、クルド部隊「ペシュメルガ」は自治区の首都アルビルや、油田地帯のキルクークなどを守り抜き、女性兵士の健闘も注目された。

 その後のIS討伐でもクルド部隊は尖兵として善戦し、シリアに転戦してからは「シリア民主軍」と称して米軍と協力。ISとの戦闘で地上戦の主力として活躍し、シリア北部のトルコとの国境地帯を制圧した。

 シリアにいる約150万人のクルド人は、内戦でアサド政府に対抗せず、ほぼ中立の姿勢を保った。シリア政府はトルコやイラクのような大規模なクルド人迫害はせず、官僚や軍人、技術者となるクルド人も相当いたと言われる。ISの滅亡後、シリア東部は事実上、イラク北部に続く第2のクルド自治区となった。

 この状況はトルコにとっては由由しき事態だ。トルコには総人口8200万人中約20%に当たるクルド人がいて、1938年までは民族主義者の大規模な反乱が続発した。徹底的な討伐で一時はなりをひそめたが、84年からは左派「クルディスタン労働者党」の武装蜂起やテロ活動が間欠的に起き、軍、警察は鎮圧に懸命だ。

 ところが東隣のイラクにクルド自治区が出現し、南隣のシリアの国境地帯にもクルド部隊が駐屯するとなると、トルコ国内のクルド人にも分離独立の機運が高まり、武器や戦闘員が流入する可能性がある。

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