タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。
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10月22日に行われた「即位礼正殿の儀」の中継を見ました。昭和47年生まれの私は昭和天皇、上皇さま、今上天皇と、3人の天皇の時代を生きたことになります。私にとって天皇は、初めからテレビの中の存在でした。
戦前生まれの父と母は、昭和天皇が現人神と言われていた頃を知っています。戦争が終わり、天皇が神から人間になり、やがてテレビの中の人になり、皇太子さまと美智子さまのテニスコートの恋に国中が沸き立って、ご成婚パレードのニュース映像にくぎ付けになったのを、彼らはロイヤルカップルと同世代の若者として経験したのです。
上皇さまと上皇后さまはそのようなテレビ越しの人々のまなざしの中で、象徴天皇のあり方を模索されました。戦争や災害や病に斃(たお)れた人々に寄り添い祈るお二人の姿は、画面を通じて国民の目に焼き付けられました。国民統合の象徴たる天皇は、テレビなしには成立し得なかったとも言えます。そのことを強く実感したのは東日本大震災の際の上皇さまのビデオメッセージと、2016年8月8日の退位のご意思を表明されたお言葉でした。
各地へ祈りの旅に出向かれる両陛下のお姿が、戦争を知らない世代を過去とつなぎ、画面の前の人を遠い空の下のつらい立場の人々とつなぐメディア(媒体)として機能したとも言えるでしょう。
今上天皇、皇后両陛下は、マスメディア越しに国民のまなざしを受けることに加え、SNSによって人々の声が可視化された社会を歩まれることになります。匿名の無法地帯ではもはや人々の発言には禁忌がなくなり、戦争はイメージ上のものとなり、皇室はただゴシップとして消費される可能性もあります。両陛下がどのような形で現代の日本国民の統合の象徴となられるのか、中継を見ながらその道なき道の遠きを思ったのでした。
※AERA 2019年11月4日号