福田晴一(ふくだ・はるかず)/昭和31(1956)年、東京都生まれ。みんなのコード学校教育支援部主任講師、元杉並区立天沼小学校校長。約40年の教員生活を経て、2018年4月NPO法人「みんなのコード」に入社。61歳で新入社員となる。2020年度からの小学校におけるプログラミング教育必修化に向け、指導教員を養成すべく、全国を東奔西走中福田晴一(ふくだ・はるかず)/昭和31(1956)年、東京都生まれ。みんなのコード学校教育支援部主任講師、元杉並区立天沼小学校校長。約40年の教員生活を経て、2018年4月NPO法人「みんなのコード」に入社。61歳で新入社員となる。2020年度からの小学校におけるプログラミング教育必修化に向け、指導教員を養成すべく、全国を東奔西走中
全校生徒13人の小学校全校生徒13人の小学校
 61歳で公立小学校の校長を定年退職した福田晴一さんが「新入社員」として入社したのはIT業界だった! 転職のキーワードは「プログラミング教育」。全国を教員研修で回っているうちに63歳となった。今回は、地方の教員研修の中で、過疎地の小規模な小学校を訪問したレポートを紹介する。

【プログラミング授業を行った全校生徒13人の小学校】

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 今年度、私の教員研修は、県を3県、政令都市を1市、中核都市を3市、そして地方都市を1市担当している。年に数回、当該各地を訪問しのべ約350人の小学校の先生方にプログラミング教育を届けている。改めて顧みると、我ながらよく頑張っていると思う。

 先月は島根県の地方都市へ今年度2回目の指導訪問をした。実は今回、教員研修のほかに、久しぶりに子どもたちに直接プログラミングの授業をさせていただく機会をもった。

 通常なら、羽田空港から島根まで朝一番の飛行機で飛び、午後3時間の教員研修を実施し、最終の羽田行きの飛行機で帰京する、まさに弾丸日帰り出張だ。6時前に自宅を出て、夜10時過ぎの帰宅は、私の歳では結構きつい1日となる。

 この地方都市に長年の親交ある後輩校長がいる。彼は、その都市から車で山間部に30分ほど走らせたところにある、益田市立真砂小学校の校長を務めている。彼から「福田さん、せっかく島根まで来るんだから、うちの子どもたちに直接、プログラミングの授業をしてもらえんか……」ともちかけられた。腐れ縁もあることから、研修日に後泊して島根の新鮮な魚に舌鼓を打つ約束で、子どもたちへのプログラミング授業を快諾したのだ。

 日本海の海鮮に満足した翌朝、彼の車で学校に向かう。その学校は、明治一桁に開校した長い伝統ある学校であるが、時代の流れとともに現在は、全校児童13名の過疎地典型の複式学級(低中高別クラス)の小学校である。

 宿泊した駅近くのホテルから車で5分も走ると、渓流釣りで有名な川沿いの道となり、景色が一変する。さらに支流に入ると、彼は車窓から道中の人々と挨拶を交わしながら車をゆっくり進める。小学校の校長というより、地域コミュニティーのチェアマンのようだ。集落に入り細い道を進むと、歴史ある石の門柱の向こうに木造二階建ての小さな学校が現れた。

 
 校舎に入ると、私は完全に自分の小学校時代にタイムスリップしていた。廊下に並ぶ、開校当時からのセピアカラーの集合写真、木の匂いが漂う校長室の大きな窓からは、広々とした校庭が望める。職員室の天井から垂れ下がっている「ハエ取り紙」には驚いた。教頭先生は中学年の担任を兼務していて、教室と職員室を行ったり来たりしている。事務職員と養護教諭は近くの中学校と兼務だそうだ。

 そうこうしているうちに、休み時間となった。体育着が生活着となっている13名の子どもたちが教室から飛び出してきた。廊下に備え付けてある「逆上がり補助板」で逆上がりの練習をしている子、校庭で一輪車の練習に挑む子、みんな笑顔で快活である。

 さあ、いよいよ私の出番となる。

 先生方を前に話をするのは慣れているが、久しぶりの子ども相手の授業となると、20年間担任をしていたとはいえ、やや緊張する。しかも今回は「プログラミング公開授業」と銘打たれていて、市内の先生たちも見学にくることになっていた。私は、前夜に校長と一献はしたものの、当日は早起きをして何度も授業展開をシミュレーションした。

 まず午前は、低学年6名、中学年3名への授業である。児童の後ろには、担任の先生と校長先生はじめ、市の教育委員会の指導主事、隣接の中学校の校長先生、そのほか他校の先生の顔も見える。

 しかし、授業が始まり子どもたちとのやり取りとなると、昔取った杵柄ではないが流暢に言葉は出てきた。低学年はコンピューターを使わない「アンプラグド型」のワークシートでコンピューターの特性をつかみ、その後「Viscuit(ビスケット)」というソフトで自分が描いたキャラクターを自由に動かしてみるなどを行った。子どもたちの歓声はお堅い「研究授業」の雰囲気を一掃してくれた。

 中学年も、前半はワークシートで困ったこと探し(プログラムのバグ探し)を行い、後半は「Hour of Code(アワーオブコード)」で、自分の意図した動きを画面の中のキャラクターに命令して動かしてみた。子どもたちは端末に慣れているようで要領よく取り組み、チュートリアル型のソフトウェアを楽しみながら「繰り返し」や「条件分岐」の概念を体感していた。

 
 午後の高学年授業は「スクラッチ」でキャラクターを動かして、理科の電気の単元を「micro:bit(マイクロビット)」で体験する計画を立てたが、やや欲張り過ぎた感もあった。それでも、4人の子どもたちは全員「スクラッチ」の基本操作の「猫逃げ」を完成させ、一人一人感想を発表してくれた。

 小学校の校舎は昭和感いっぱいの施設だが、テクノロジーは都市部と僻地という実際の距離をフラットにする。今回取り組んだプログラミングの授業は都市部の研究校と同じものだし、子どもたちの反応も、日頃目にする都市部の子たちと全く変わりがなく、むしろ生き生きとしている。

 印象的であったのは、プログラミングの授業を終えた低学年の6人が、授業が終わったとたん、虫取り網を持ってどこまでが学校の敷地かわからない草原に秋の虫を探しに行く姿だ。間も無く帰ってきた子どもたちは、「ベビがおったわ……」と先生に報告をしている。この過疎地に住む子どもたち、都市部の子ども以上に逞しさと生きる力を備えている。その上で、テクノロジーで時間軸と距離軸を超えて、情報リテラシーが備えられたら、まさに次世代を支える子どもたちに成り得るのではないかと、強く実感した。

 しかし帰りの車内では、校長先生からこんな話もあった。

「うちの集落には、プログラミングの題材になる信号機もないし、自動販売機も2台ですよ。当然、ATMもないので、郵便局は集落の重要機関で、郵便局員が高齢者の家々を周り集金業務、保険業務を行いつつ、安全確認もしているんですよ」。続けて「子どもたちも確かに自然の中で逞しく、そこそこのテクノロジーに関してもリテラシーがありますが、都会の多くの人の中で発信できるか、コミュニケートできるかが課題です。中学校に進んでも全校で数名ですからね」と。

 帰京の機内で、考えさせられることが多々あった。

 過疎地、小規模校の切実な現状。多分、人口減少に伴う少子高齢化が進む日本では、同様の問題を抱えている地域は数多くあるだろう。そのような中で、次世代を担う子どもたちにテクノロジー実践の環境を与えることは、大きな可能性を生み出すことにつながることは間違いない。

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福田晴一(ふくだ・はるかず)/昭和31(1956)年、東京都生まれ。みんなのコード学校教育支援部主任講師、元杉並区立天沼小学校校長。約40年の教員生活を経て、2018年4月NPO法人「みんなのコード」に入社。61歳で新入社員となる。2020年度からの小学校におけるプログラミング教育必修化に向け、指導教員を養成すべく、全国を東奔西走中

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