是枝監督に言われて、印象的だった言葉があるという。

ビノシュ:「照明の当たっている人の脇で、影にいる人に興味がある」。私の役は影の存在ですよね。撮影で面白かったのは、本を読むシーンで監督に藪の後ろ側に押し込められて、「その隠れてる感じがいい!」って。フランス人監督なら女優をこんなふうに撮らないですよ(笑)。

是枝:あのカット、すごく好きです(笑)。この映画を見て、みんな、ドヌーヴ演じる母親が(人をあやつる)魔法使いだと思ってるんだけど、実は魔法を使っているのは影の側であるリュミールや執事のリュックなんですよね。最初の打ち合わせのとき、母親のカトリーヌさんを皿の上に載せて、一緒に調理してください、とお願いしました。

 言語の違いは壁にならなかったのだろうか。

ビノシュ:監督と俳優のコミュニケーションに言葉は不可欠ではありません。監督はテイクの度に俳優の心を開かせようとする。撮影現場でだけ起きるマジックですが、何テイクも撮っていくと、俳優の心が開かれ、何かが現れてくる。脚本に書かれていることがそのまま映像になるわけではないんですね。ただ、たとえばレストランで通訳さんが遅れてくると、二人ともまったく会話できなくて焦って──。

是枝:もっと親密になれたかもしれないのに(笑)。僕は日本でも俳優に手紙を書きますが、今回は少し多めでした。脚本のここで悩んでいるとか、この役に少し弱点を作りたい、みたいなことを手紙にしました。ビノシュさんも娘婿役のイーサン・ホークも演出の目を持った役者だから、いいアドバイスをくれるし、一緒に考えてくれた。カトリーヌさんは現場に来てから台本を開くタイプなので、手紙は書きませんでしたが。

ビノシュ:映画撮影の間、私たちはテイクの度に魂を探索していると思うんです。ただ粛々と監督に従うのではなくて、監督と一緒に探検するのが映画。人生と同じですよね。

「フランス映画っぽい」「日本映画だ」など、見る人によって感想はさまざまだ。

是枝:自分の色を残さなければとも思わなかったし、フランス映画にしなければとも思わなかった。あの場所と目の前にいる役者たちを魅力的に撮ろう、生き生きとみずみずしく撮ろうとそれだけを考えていました。

次のページ