松永:多和田さんは、本当に時代の先端を行くという前衛的な面が強くあると思っています。ドイツ語と日本語という二つの言語で書くというのもそうですし、その両方の言語圏で高く評価されているということも稀有なことだなと思います。文学の枠組みをどんどん広げていく。つまり、自分に限界を決めないでどんどん新しいことを作品として出してきているところが、面白いなと。

 それに比べると村上さんは、しっかりとした村上ワールドを作り上げている。多和田さんとは方向性が違い、ストーリーテリングしています。村上さんが作られた新しい日本語で日本文学が変わっていき、たくさんの村上チルドレンを生みました。それがアジアにも広がっているし、その村上さんの世界に欧米読者も共感しています。自分探しであるとか、価値観の問題で社会の中の人間のあり方というのを無意識の世界の中まで掘り下げて提示したというのは、村上さんの業績だなと思います。

鴻巣:村上さんと多和田さんの共通点は言葉の革命家であるということですよね。大江健三郎さんもそう。みなさん、日本語を変えてきた人たちです。これまで踏み込んだことのない言葉の領域に、入り込んでいくというか。そういうことをあえてやると、「こんなの日本語じゃない」といった批判はありますが、それを覆してご自分たちの世界を作ってきたという意味では、言語の刷新というものをパワフルに秘めた人たちがノーベル文学賞に値するんだと思います。ノーベル文学賞の特徴は、言語の縛りのない翻訳文学です。「言語を超える」「文化を超える」、つまり、壁を越えて集まってくるものじゃないと、まず候補にはならないですよ。

松永 大江さんも村上さんも多和田さんも、外国文学との接触から新しい日本語を作っていったということが印象的です。村上さんも最初は英語で創作しようとしていたり。その文章がその後、翻訳小説みたいだと言われたり。彼自身が翻訳もたくさんしていますしね。

(構成/編集部・三島恵美子)

AERA 2019年10月21日号より抜粋