稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
辺野古の基地建設予定地。那覇から車で1時間半、住宅地の高台にある空き地からようやくチラ見(写真:本人提供)
辺野古の基地建設予定地。那覇から車で1時間半、住宅地の高台にある空き地からようやくチラ見(写真:本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【写真】辺野古の基地建設予定地

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 最近、あることが非常に気になっているんだが、どうにもうまくまとまらないので自分なりに一生懸命考えたんだがやはりわからないので、まずは書いてみる。

 先日、仕事で沖縄へ行った。スタッフの懇親会にも参加させていただいた。基地の話になった。印象に残ったのは「お金」の話である。基地について何か言うと、本土の人に「でも、お金もらってるんでしょ」と返されることが多い。それがいかに空しく、悔しいかという話である。

 この論法はどこかで聞いたと思い、考えてみた。するとこの類いの話は実に現代に蔓延しているのである。例えば原発被災者。従軍慰安婦。被害を訴えると「お金もらったんでしょ」「もらってるんでしょ」という強い反発が返ってくる。例の公金論争。公金を受けた美術展には当然、お上の思想に沿わぬ作品を展示すべきでないと考える人が少なくない現実。話題のカスハラ。客なんだからどんなクレームをつけても構わないという行動の裏には、金を払った者は無限の権利を得て当然という思いが見える。

 金を受け取った側は、払った側に黙って従うべき。このところ世の少なからぬ人が、お金を「そういうもの」と考え始めているのだ。もちろん、お金の授受があればそこには何らかの力関係が生ずる。だが近年、加速度をつけてお金のパワーが過大に見積もられてきているのではないか。金を受け取った側はすべてを明け渡すのだと。極論を言えば「奴隷」になることも受け入れるのだと。

 だが一方で、誰もがお金を求めてやまない。近頃では老後不安もあり、少しでも効率よく金を稼がねばと皆思っている。つまりは誰もがお金をたくさん受け取りたいと思っている。で、お金を受け取るということは誰かの奴隷になるということなのであれば、これすなわち、少なからぬ人が誰かの奴隷になって生きることを甘受している、あるいはそういうものと考えているということになる。

 勝者は誰なのだろうか。幸せはどこにあるのだろうか。

AERA 2019年10月14日号

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稲垣えみ子

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稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

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