稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
東京はやたら暑い日が続くがもう10月。近所のコスモスを見て無理やり秋を実感(写真:本人提供)
東京はやたら暑い日が続くがもう10月。近所のコスモスを見て無理やり秋を実感(写真:本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

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「7本指のピアニスト」西川悟平さんのチャリティーコンサートに行った。楽しいひとときであった。なんといっても演奏よりトークが長い(笑)。それもまた良かった。「ピアノ界のさだまさし」とおっしゃっていたが、音楽も話も何かを伝えることにおいては同じである。キャリア半ばで指が動かなくなる不治の病になり、どんな思いで再びピアノに向かってきたのか、暗いはずの話がなぜか山あり谷ありの爆笑トークになっている。話しまくる西川さんに聴衆は一気に心を奪われた。そして合間に奏でる演奏に、さらに心を奪われたのであった。

 なぜこのコンサートに出かけたかというと、7本の指で演奏するということに興味があったのである。前も書いた通り、40年ぶりにピアノを再開した私は瞬く間にこの底無しの世界にどハマりしたものの、ハマるほどに一向に上達せぬピアノを続ける意味を考えざるをえなくなった。いやネ、実は真面目に練習さえすれば時間はかかっても何だって弾けると思っていた。甘すぎた。加齢による脳と体の衰えは誠に容赦がない。身体に限界を抱えそれでも演奏することの意味が知りたかった。

 だが最初の演奏を聞いた途端、その疑問は氷解したのである。ああその音といったら! 演奏とはつまるところ、音楽に対する愛である。一音一音にどれだけ丁寧に深く思いを込められるかである。動かぬ指で一曲を弾ききることに費やす時間と集中は、そうでない時とは別次元のものとなったに違いない。そのことが瞬時に伝わってきた。

 そして、物事は単純なハッピーエンドではないことも学んだ。7本の指で弾けるようになった今も、体調により指の痙攣(けいれん)に見舞われるのだという。この日も、さっきから痙攣がひどくて実はこの曲は飛ばそうかと思っていた、でも頑張って弾きますという告白にドキドキした。指が10本動いた時を懐かしく思わないわけじゃないという言葉も心に刺さった。どこまでも続く困難な上り坂。だからこそ、そこに込める想いも深くなるのだと信じられるかどうか。

AERA 2019年10月7日号

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稲垣えみ子

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稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

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