歌代幸子(うたしろ・ゆきこ)/1964年、新潟県生まれ。ノンフィクション作家。学習院大学卒業後、編集者を経て、独立。「AERA」などに執筆。『100歳の秘訣』(新潮新書)など著書多数(撮影/写真部・掛祥葉子)
歌代幸子(うたしろ・ゆきこ)/1964年、新潟県生まれ。ノンフィクション作家。学習院大学卒業後、編集者を経て、独立。「AERA」などに執筆。『100歳の秘訣』(新潮新書)など著書多数(撮影/写真部・掛祥葉子)

 歌代幸子さんによる『鏡の中のいわさきちひろ』は、著者が自身もファンだったという「いわさきちひろの素顔」に迫り、その生涯を読み解いた一冊だ。歌代さんに、同著に込めた思いを聞いた。

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 淡い水彩で描かれた子どもたちの絵で知られる、絵本画家のいわさきちひろ。国語の教科書に掲載された挿絵だろうか。ちひろの絵との出会いは、中学生の頃だったと歌代幸子さん(55)は振り返る。小遣いを貯め、ちひろの画集を買った。大学進学で上京すると、その画集を抱え、美術館に足を運び、原画に見入った。

 社会に出て、仕事と子育てに追われる日々を過ごし、歌代さんが再びちひろの美術館を訪れたのは48歳のとき。仕事に行き詰まりを感じ、心身ともに弱っていた。そんなとき、娘からプレゼントされたポストカードに、ちひろの絵があった。二十数年ぶりに訪れた美術館はリニューアルされており、展示室も拡張されていた。そこで目に留まったのが、ちひろが53歳のときに書いた「大人になること」というエッセーだった。

「大人というものはどんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思います」

 ちひろのそんな言葉にはっとした。こんなに優しく、人から愛される絵を描く人が、なぜこんな言葉を残すのか──。歌代さんの関心は、絵からちひろ本人に移った。それから取材と執筆に約4年を費やし、ちひろの生涯に迫ったのが本書である。

 歌代さんはちひろが戦時中に疎開した信州にまで足を運んで証言を集め、その優しい絵とは相反する厳しい過去も浮かび上がらせている。20歳のときに意に沿わぬ結婚をしたちひろは、夫の赴任先の大連へ渡ったが、22歳のときに夫の自殺により帰国。戦時中は書道の教師として旧満州に赴いた。戦況の悪化から帰国するが、東京の自宅を焼かれ、疎開先で終戦を迎えた。敗戦後、牢獄に入れられても命がけで戦争に反対した人たちがいたことに感動し、日本共産党に入党している。

「生前は多くを語りませんでしたが、画家としての原点はその時代にあると思います」

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