激しい雨で冠水した道路を歩く人たち。その横を通る自衛隊のボートは自力で避難できない人たちの救助に向かった/8月28日、佐賀県武雄市で (c)朝日新聞社
激しい雨で冠水した道路を歩く人たち。その横を通る自衛隊のボートは自力で避難できない人たちの救助に向かった/8月28日、佐賀県武雄市で (c)朝日新聞社

 被災した多くの人に共通するのは、「まさか自分が……」との思いだ。「現代の日本で、災害が起きない場所はない」と言う専門家とともに、災害に備える「備災力」をつける110のタスク表を作った。まず、ひとつからでも始めたい。

【災害にすぐ取り組める「備災力」をつける110のタスク表はこちら】

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 被災前から、台所に地域のハザードマップを貼っていた。だが、じっくりと見たことはなく、自宅がマップのどのあたりかも把握していなかった。

「見返してみると、我が家も浸水の恐れがあるエリアの境目にかかっていました。知っていたからといって対策がとれたかはわからないけれど、それでも少しは警戒できたかもしれません」

 岡山県倉敷市真備町の妹尾照子さん(73)は、2018年の西日本豪雨で被災した。6月末から7月初旬、台風や梅雨前線の影響で各地で集中豪雨が発生。西日本を中心に甚大な被害をもたらした。倉敷市でも7月5日の午前中から7日にかけ、270ミリを超える雨が降った。7月の平均月間雨量の2倍に迫る猛烈な雨だった。6日深夜から7日未明には真備町内を流れる小田川の堤防が決壊、町内だけで50人以上が亡くなった。

 堤防の決壊が夜中だったこと、誰もが予想していなかった災害だったこともあり、避難できなかった人も多かった。妹尾さんの場合も、7日の午前2時ごろ、夫がトイレに行こうとベッドから出たところで異変に気付いた。そのときすでに床上まで浸水。ハンドバッグや衣類をまとめているうちにみるみる水位が上がり、腰のあたりまで浸(つ)かるのに20分もかからなかったという。2階に避難し命は助かったが、家財道具は泥水に浸かり、車庫にあった2台の車も水没した。

 真備町は1893年にも大水害に襲われたが、昭和期に堤防が完成して以来、水害を意識する人はほとんどいなかった。妹尾さん自身も長年この地に住んでいるが、水害の恐れがあるとは聞いたこともなかったという。

「仮に堤防が切れても、ここまで水が来るとは考えもしませんでした」(妹尾さん)

 古くから災害の代名詞だった地震や台風はもとより、集中豪雨、津波、噴火など、日本各地で災害が相次いでいる。それでも、被災者となった人の多くが抱くのは、「まさか自分が……」との思いだ。災害のニュースをリアルな自分事ととらえるのは簡単ではないし、正常性バイアスが働いて被災リスクを過小評価してしまうこともある。

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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