スタジアムから1キロほど離れた海辺に立つ老舗旅館「宝来館」の女将、岩崎昭子さん(63)は目を細める。

「W杯が近づいて、復興が急ピッチで進み、ようやくまちらしい雰囲気になってきました」

 今年3月には内陸部と沿岸部とを結ぶ釜石自動車道が全線開通し、不通だったJR山田線も三陸鉄道に移管されて復旧した。整地された区画には次々に新しい家が建ち、スーパーなどが入る商業施設も建設中だ。

 津波にのまれたが、奇跡的に助かった岩崎さんは、「復興も大事だけど夢が必要」とW杯招致を訴え続けた。

 今年3月にできたスタジアム最寄りの鵜住居駅の新駅舎に釜石東中学校の生徒たちが「トライステーション」と愛称をつけたとき、岩崎さんは誘致して本当に良かったと思ったという。

「スタジアム建設にはお金もかかるし、家族を亡くしてW杯誘致に複雑な思いを持っていた人もいる。鵜住居には震災遺児も多い。それでもやっぱりラグビーは子どもたちに希望を与えてくれたんだ、と思えたんです」

 新日鉄釜石の黄金時代、製鉄所の高炉が閉鎖されていった。

「この先どうなるんだろうという不安の中で、勝ち続けるラグビーだけが唯一の希望でした。今回も、震災でほとんど流されてしまった鵜住居が、たくさんの人が集う場所に変わったのはラグビーのおかげです」

 岩崎さんは続ける。

「ここで起きたことをちゃんと知っていただきたい。ただ悲しいだけの場所ではないということも」

鵜住居地区の被害は甚大だったが、海から500メートルほどの場所に位置する鵜住居小学校と釜石東中学校では、在校していた約600人が防災教育のおかげで各自高台を目指し、一人の犠牲者も出さなかった。「釜石の奇跡」と伝えられている。

 鵜住居駅前に今年3月にオープンした津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」でガイドを務める菊池のどかさん(24)は震災当時、釜石東中3年だった。防災を担当する整美委員会の委員長を務め、その取り組みが評価されて震災前に全国表彰を受けたこともあった。

次のページ