東京国立博物館にある、奈良市西大寺宝ケ丘から出た開基勝宝(8世紀)。760年に鋳造された古代唯一の金貨で、出土例は少ない。(写真/朝日新聞社)
東京国立博物館にある、奈良市西大寺宝ケ丘から出た開基勝宝(8世紀)。760年に鋳造された古代唯一の金貨で、出土例は少ない。(写真/朝日新聞社)
1993年に下着メーカーと金属加工会社が共同制作した24金のブラジャー(福岡県の岩田屋デパートで展示) (写真/朝日新聞社)
1993年に下着メーカーと金属加工会社が共同制作した24金のブラジャー(福岡県の岩田屋デパートで展示) (写真/朝日新聞社)

 金にまつわる雑学や豆知識について長年、調べ続けてきた岡本正房さん(市場経済研究所顧問)のコラムから、特に興味深い「金のトリビア」を厳選して紹介します。

【写真】当時3500万円の純金ブラジャーはこれ!

■日本最古の金貨

 日本最古の貨幣は708年に造られた和同開珎(わどうかいちん)であることはよく知られていますが、日本初の金貨もそのすぐ後に鋳造されています。

 760年に造られた開基勝宝(かいきしょうほう)という名の貨幣がそれで、円形で中央に四角い穴が開いた円形窄孔(さくこう)という形をしています。ちょうど五円玉を思い浮かべていただければいいでしょう。この金貨は和同開珎同様、唐(現在の中国)の貨幣をまねて造られたものです。

 当時、若干の時間をおいて金貨、銀貨、銅貨が相次いで鋳造され、金貨1枚で銀貨10
枚、銀貨1枚で銅貨10枚と交換するよう定めたと『続日本紀(しょくにほんぎ)』には記されています。

 ただ、当時は物々交換が主力。貨幣は奈良周辺で使われたくらいで、地方ではほとんど使われなかったといわれています。

 なお、和同開珎というとすぐ銅貨を思い浮かべる人が多いようですが、実は最初に造られたのは銅貨ではなく銀貨でした。708年5月のことで、銅貨より3カ月早かったそうです。

■千両役者のギャラはいくら?

 役者を形容する言葉もいろいろあります。最も低い評価を「大根役者」とすれば、最高の評価は「千両役者」ではないでしょうか。

 この千両役者というのは江戸時代、1年で千両もの給金を得ていた役者のことで、それが転じて「格式の高い俳優」「技芸が優れた俳優」を指す言葉になりました。

 それでは、現代の千両役者はどの程度の給金となるのでしょうか。小判の一両の価値は江戸時代を通じ、大きく変わったので、はっきりしたことはいえませんが、江戸中期では米一石(いっこく)に相当、現在の価格では約4万~5万円だったといわれています。

 これを当てはめると、千両役者の年収は4000万~5000万円ということになるのでしょうか。もちろん、慶長小判に換算すれば1億円を超えることでしょう。

 現在の俳優はこの何倍もの給金を得ている人はざらですが、さて、本当に千両役者の名に値する「格式」や「技芸」を持っている人は何人くらいいるでしょうか。これ以上は申しません。

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1000万円の落とし物