週5日働き、人並みの収入を得ることが必ずしもゴールではない。長いトンネルのような時間をくぐり抜けてきた親たちの視線は、「就労支援」から「生き抜く応援」にシフトしつつある。

 前出の太田市の母親は、ひきこもりの子を持つ家族会「太田道草の会」で活動を続けてきた。会の親たちとともに、支援者の協力を得てパソコン教室や文章校正、農園での袋詰めの軽作業といった「小さな仕事づくり」にも取り組む。

「ひきこもる子がいると地元でカミングアウトするのは勇気が要るけど、年とってそんなことも言っていられない。ネットワークを広げようと思っています」

 仲間の子どもたちによるワークシェアリングでの就労についても、近々、地元企業に提案してみるつもりだという。

 本人の社会とのつながりが希薄で親も隠したがるなど、ひきこもり当事者の実態がつかめない面もあるが、親の介護をきっかけに福祉が入り、発見されるケースもある。そこから、社会につながる事例も出てきた。

 10年ほど前、広島市基町地域包括支援センターに連絡してきた母親に介護が必要になったが、母親は徐々に弱るなか、50代の息子が失業を機に長く家にいるようになったと打ち明けた。この事例に関わった、藤原美喜センター長(当時)は振り返る。

「息子さんは家におられるけん、家でお母さんを見守ってくれる『介護者』だと見て関わっていった。『お母さんに何かあったら電話してくださいね』と」

 息子から事業所に連絡が入り、事なきを得たこともある。

「お母さんがベッドから落ちて移乗介助が必要な時は、息子さんが電話で『ちょっと大変なんだ』と。その時は自分が誰かも名乗らなかったけれど、SOSを出すにはそれで十分でした」

 母親の入院手続きや病院への付き添いなど、頼んだことは全てこの息子が行ったという。

「息子さんは、一般的には『ひきこもり』っていう言葉のイメージで見られる人だったかもしれないけれど、弱った母親を前に、徐々に介護の担い手へと役割が変化していったんですね。『親の介護、看取りを経験した人』として、今では地域の貴重なマンパワーに。地域の高齢者へのボランティアに関わってもらっています」(藤原さん)

(ノンフィクションライター・古川雅子)

AERA 2019年8月26日号より抜粋