「猛暑だったこともあり、私を含めドイツからの撮影チームは犬のようにハアハア言って、なんとか暑さに耐えながら撮影を行っていた。けれど、樹木さんだけは暑さをまったく感じないかのように涼しい顔で演技をしていた。厨房のシーンでは音が入らないようエアコンを切っていたから、50度を超えていたと思うのだけれど」

「モニターをご覧になりますか?」と樹木さんに尋ねると、「あーいいの、見ない見ない」と即答していた、というのも樹木さんらしい。

「ご自分がやっていることはわかっているから、見る必要はない。そうおっしゃっていました」

 台詞はほぼ脚本通り。でも1カ所だけ、アドリブがあった。

「久しぶりなのよ、お客さん」という、デリエ監督が初めて茅ケ崎館を訪れた際、女将さんにかけられた言葉に近いものだ。

 撮影期間中は俳優陣も撮影スタッフも茅ケ崎館に泊まり、毎朝一緒に朝食を取った。ユーモアあふれる樹木さんの話にいつも笑わされたという。「ドイツからのスタッフが食べやすいように」と、女将さんはドイツパンにサラミを挟んだものを朝食として出してくれた。

「樹木さんはそのドイツパンとサラミをすごく気に入って。喜んで食べていらっしゃいました」

 必要以上に時間をかけず勢いよく撮って、早く終わればその分早く部屋に戻る。そんなデリエ監督の撮影スタイルを樹木さんは気に入っていたという。

 訃報は制作会社を通して知った。「びっくりした部分もあれば、それほどびっくりしなかった部分もある」と言う。

「『まさか、いま』という気持ちはもちろんありました。すごく悲しいけれど、彼女自身はきっと心の準備はできていた。自分の生き方を貫いて亡くなることができたと思う。そう考えると、必ずしも悲しいとは言えない。本当に不思議な感じです」

(ライター・古谷ゆう子)

AERA 2019年8月12-19日合併増大号より抜粋