出演者が実際に不法滞在で逮捕されるなど、撮影中にはハプニングも多く起こった。

「それでも彼らは『撮らないで』とは言わなかった。彼らは自分たちの状況や物語を世界に伝えてほしい、と願っていた。だからみんな撮影にすごく協力的だった」

 撮影後、ゼインは身分証明書を手にすることができた。

「一番大きいのは、観た人の心の変化につながったことだと思う。子どもたちへの見方が変わった、自分に何ができるか考えた──そんな反応をたくさんもらった。これは最初の一歩だと思う。ゼインが本当に訴えているのはこの状況を生んだ社会であり、『見ないふり』をしているわれわれ全員でもあるのだから」

 2児の母であり俳優も兼務する監督は、ベイルートに生まれ内戦を経験してきた。

「私にとって映画は現実から逃避する手段だった。自分ではない、ほかの人の人生に逃避できた。だから違う人間を演じる俳優業と違う人間の物語を描く監督業は、私の中で自然に同居している」

◎「存在のない子供たち」
少年ゼインの瞳が観客を射抜く。第71回カンヌ国際映画祭2部門で審査員賞をダブル受賞。7月20日から公開

■もう1本おすすめDVD 「キャラメル」

ナディーン監督が自ら脚本・主演も務めた2007年のデビュー作。カンヌ国際映画祭の監督週間で上映され、ユース審査員賞を受賞している。

 ベイルートでヘアサロンを経営するラヤール(ナディーン・ラバキー)。未婚の彼女は不倫をしているが、家族にも言えない。結婚を控えた女性スタッフは婚約者に処女でないことを告げられず悩んでいた──。タイトルのキャラメル、とは中東で女性のムダ毛処理に使われるもの。皮膚に塗った甘いキャラメルがベリッとはがされる様子に「痛っ!」と驚きつつ笑ってしまう。監督はユーモアもたっぷりに、現代の中東に生きる女性たちの悩みや葛藤を活写した。

 インタビューで監督が自身の映画体験を語ってくれた。

「子どものころ家の階下が雑貨屋さんで、ビデオテープを貸し出していた。特に『グリース』(1978年)がお気に入りで、テープが擦り切れるまで繰り返して見た。『フェリスはある朝突然に』(86年)も好きだった。内戦中ですぐに停電になるんだけど、私にとって電気のある時間は、テレビに向かう時間だった。日本映画は大人になってから知った。是枝裕和監督の『誰も知らない』(04年)も大好き」

◎「キャラメル」
発売元:オンリー・ハーツ 販売元:グラッソ
価格3800円+税/DVD発売中

(フリーランス記者・中村千晶)

AERA 2019年7月22日号