小説家の山田詠美さんによる『つみびと』は、フィクションでしか書けない「現実」と、虐げられる者たちの心理を描いた長編小説だ。著者の山田さんに、同著に込めた思いを聞いた。
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二人の幼子が狭く暑苦しいワンルームマンションで餓死するという衝撃的なニュースが駆け巡ったのは、今から9年前の夏のこと。育児放棄をした母親は、ホスト狂いの「鬼母」として連日報道された。
大阪2児置き去り事件──。この事件を題材に長編小説『つみびと』を執筆したのは山田詠美さん(60)だ。
「いつもこれは自分にも起き得る話かということを念頭に置いて考えて、本当にそうだと思えた時に小説の題材に選んでいます。この事件を起こした母親を見て『あなただって、この人になるかもしれないよという部分を持っていたのでは』と思いました。彼女のことを別の側面から見て書けるのは、今の私しかいないんじゃないかって自負を持ってしまって」
本書の主人公である蓮音が、刻一刻と追い詰められてついに一線を越えてしまう過程を、深い洞察力と巧みな表現力で描く。理屈だけでは語りえない感情のひだを、これでもかと気づかせてくれるのも山田作品の醍醐味である。こうして私たちが「鬼母」としか知りえなかった主人公に「心」が宿っていく。
「たとえ同じ題材を扱っていたとしても、フィクションとノンフィクションは全然違うものです。ノンフィクションでは登場する人たちに想像による心の中身を入れることができない。外から見るということに徹しないとノンフィクションになりません。それは大事な仕事だと思いますが、心の中に分け入っていくということができるのはフィクションの方であり、小説の力です。でも書いているうちに登場人物が自分の思うようには動かないものだということもわかってきて、今度はフィクションでありながらノンフィクションノベルみたいに内と外、両側から見て描写することに徹しようと思ったり。せめぎ合いがありました」