川下智子さんが殺害された現場には、慰霊の石碑が建てられている。日本から訪れた両親だけでなく、タイ政府高官や警察官らも白菊を手向けた/1月14日、タイ北部スコータイで (写真:川下さん提供)
川下智子さんが殺害された現場には、慰霊の石碑が建てられている。日本から訪れた両親だけでなく、タイ政府高官や警察官らも白菊を手向けた/1月14日、タイ北部スコータイで (写真:川下さん提供)
海外で犯罪被害に遭った日本人(AERA 2019年7月1日号より)
海外で犯罪被害に遭った日本人(AERA 2019年7月1日号より)

 海外で犯罪やテロに巻き込まれた被害者や家族が十分な補償を受けられずにいる。グローバル化に伴い渡航者が増え続ける今、救済制度のあり方が問われている。ノンフィクションライターの水谷竹秀氏がリポートする。

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 その一報が入ったのは、職場のオフィスにいた時だった。

「娘さんが事件に遭われました。ご本人に間違いないと思われますので、ご確認頂けますでしょうか」

 電話の相手は在タイ日本国大使館の担当者。渡航先での娘の死を知らされた大阪市在住の川下康明(かわしたやすあき)さん(71)は、当時の心境をこう振り返る。

「全身の力が抜け、椅子から崩れ落ちそうになりました。娘はメールで『タイの人はめっちゃいい人』と記していたから、微笑みの国だと思っていた。頭が真っ白になったことを覚えています」

 娘の智子さん(当時27)が、事件に巻き込まれたのは2007年11月25日。旅行中、タイ北部のスコータイにある国立歴史公園で、何者かに刃物で首を刺され、命を落とした。

 智子さんは、大阪を拠点に活動する劇団「空晴(からっぱれ)」のメンバーだった。その旗揚げ公演が終わった直後に1人でタイを訪れ、被害に遭った。タイの国家警察による捜査などは実を結ばず、発生から11年が経過した今も犯人は捕まっていない。

「事件を風化させたくないので、これまで劇団の仲間や友人たちとともにタイに足を運んできました。タイは時効が20年と聞いていますので、折り返し地点を過ぎてしまった今、早期解決への思いはより一層強まっています」

 今年1月14日、川下さんは妻と一緒に、智子さんが命を落としたスコータイの現場に赴いた。タイ政府高官や在タイ日本国大使館の職員、メディア関係者らに見守られるなか、慰霊の石碑に白菊を手向け、祈りを捧げた。事件発生から約10回、毎年のようにこの地に足を運んでいる。智子さんが旅行中に訪れた飲食店や土産物屋なども劇団仲間らとともに探して歩き、滞在中にその足跡をたどる旅を続けてきた。

「智子が乗った象も見つけることができ、みんなで写真に納まりました」

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