自分の場所なのに、よそ者が優遇され、急速に中国化が進む。その不公平さに気づいた時、彼らは自分たちを守る他の権利を切望した。そして、香港政府のトップを決める行政長官選挙(親中派が必ず過半数を取るよう巧妙に設計された選挙)の普通選挙化を求めたのが、5年前の雨傘運動である。79日間闘ったが、何の収穫もなく、夢ついえた。

「あの頃は、香港は変わるかもしれない、って夢見ていた。でも現実はそうではないと知って、いまは雨傘について思い出すのも無奈な気持ち」ともう一人の友人は語った。

 そして疲れきっていた頃、「逃亡犯条例改正案」が降ってきた。彼らは共産党の支配下に置かれた中国の司法を信用していない。これは自分たちを守る最後の砦、つまり法と言論の自由をセットで奪う恐れのある法案だと彼らは察知した。もう疲れ果てた。しかしこの砦だけは守らなければならない。その思いが、103万、そして翌週には200万という驚異的な数の市民を突き動かしたのである。一部で報道されているような、「民主主義を手に入れるための闘い」というのとは、少し違うと私は感じる。圧制者に抵抗する抵抗者、といったヒロイズムでもない。

 生きたい。ここで生きさせてくれ──その叫びである。

 この原稿を書いている時点で、はっきりした結論はまだ出ていない。改正案が事実上凍結されたとしても、いつ再燃するかという不安は残った。香港政府が市民の声に真摯に向き合おうとせず、かえって市民を危険にさらしたことは大きな分断を社会に残した。そして市民の間には、香港政府を飛び越えて中国に対する不信感がさらに増した。一方中国は、香港市民からだけではなく、国際社会からも「抑圧者」のレッテルを貼られた。勝者はなく、分断と不信だけが残された。

 そして香港人の中国人に対する感情は悪化し続けている。隣人として生きていかなければならない両者の間に横たわる負の感情は、これからも火種となってくすぶり続けるだろう。大変憂慮している。(作家・星野博美)

AERA 2019年7月1日号