そうあってほしいし、そう願っています。それが私の望みです。そしてエマのような女性が彼女の世代の代弁者であることは、とても重要なことだと思います。私は初期のころからずっと同じ姿勢を貫いてきました。女性の権利について、人間の権利について、声を上げ続けてきた。私は常に平等のために闘ってきました。

──自分は自由のアイコン(象徴)として、多くの人から愛されていると感じますか?
 自分がアイコンである、と感じるのは奇妙なことだと思います。自分自身を呼ぶ言葉ではなく、他人が使う言葉だと思いますから。あなたがそう思うなら、あなたにとって私はアイコンなのでしょう。発言できること、その発言に人々が耳を傾けてくれること、そして誰かを助けられる立場にいることは、恵まれたことだと思っています。声を持たない人たちのために、立ち上がることができるのは幸せです。

──1曲目「メデジン」では17歳の頃を振り返っています。前例のない女性であった分、風当たりも強かったと思いますか?

 多くの攻撃を受けてきたのは事実です。確かに、最前列に立ってきたと感じています。私の後に続く女性たちのために、さまざまな分野で境界線を広げてきたという自負がある。でも、今も闘いは終わっていない。この闘いはまだまだ続いていくと感じています。

──30年前にリリースしたアルバム「ライク・ア・プレイヤー」はバチカンなどから批判され、大論争が巻き起こりました。今年3月、自身のインスタグラムに「私と論争にハッピー・バースデーを!」と投稿しましたが、当時のことをどう考えているのでしょうか。

 曲を書いたときには、あれほどの論争になるとは想像していませんでした。私はミュージックビデオのなかで黒人の聖人にキスをしたり、燃える十字架の前でダンスをしたりしたから、それが原因ね。「マドンナはビデオのなかで自身を殉教者になぞらえている」と解釈した人がいたけれど、そんな意図は全然なかったんです。でも今は違う。意図的に論争を起こしているから(笑)。

(ライター・高野裕子)

AERA 2019年6月24日号