「姉のように世界でいろんな人に出会い、好きなことに挑戦したかった」

 旬さんは中学時代、卓球部に所属。勝ち負けにこだわらず卓球を楽しむことはできないかと、フェルトラバーを貼った無回転ラケットでプレーする新しい卓球を考案。中学在学中に「世界無回転卓球協会」を立ち上げ、今は放送大学で勉強しながら、その普及活動に努めている。

 川崎市の会社員、浦戸洋祐さん(25)は高校時代、いじめをきっかけに中退した。自分を馬鹿にした先生や級友を見返したいと、私立の通信制高校に入学して医学部合格を目指すも、2年続けて失敗。ほかの大学も考えたが、

「家でひきこもり状態が続いていて、年下の学生と一緒に大学生活に溶け込んでいける自信はなかった」

 自分のペースで学び、幅広い年代の学生が在籍する放送大学は理想的だった。働きながら勉強し、6年かけて卒業。最終学歴が大卒になり、会社の基本給も1万5千円上がった。

 大阪府東大阪市の会社員、多田和恵さん(28)は生まれつきの右半身麻痺だ。特別支援学校を卒業後、職業能力開発校を経て、事務の仕事に就く。

「私が働く会社は障がい者を雇用する特例子会社で、さまざまな人が働いています。福祉に関する知識を学びたいと思うようになり、会社の同僚に勧められ、放送大学に入りました」

 特別支援学校の進路は社会福祉施設や教育訓練機関が中心で、肢体不自由者の進学率は1.5%だ。大学進学自体が珍しく、友人から放送大学について聞かれることも多い。多田さんはフルタイムで働きながら4年で112単位を揃えた。今年、卒業する予定だ。(編集部・澤田晃宏)

AERA 2019年6月24日号より抜粋