小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。対談集『さよなら!ハラスメント』(晶文社)が発売中
小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。対談集『さよなら!ハラスメント』(晶文社)が発売中
川崎20人殺傷事件から6月4日で1週間。現場に花束を供え、手を合わせる人たち。3日、川崎市で (c)朝日新聞社
川崎20人殺傷事件から6月4日で1週間。現場に花束を供え、手を合わせる人たち。3日、川崎市で (c)朝日新聞社

 タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。

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 なぜ「死にたいなら一人で死ね」と言うべきではないのでしょうか。「無差別殺人で家族を奪われた人の気持ちを考えたらごく自然な感情ではないか。偽善者ぶるのもいい加減にしろ」という声に共感した人も少なくないでしょう。

 でも、言っちゃいけないと思う。胸の内で思っても、言葉にするべきじゃない。なぜならそれは憎悪の言葉だから。憎悪の言葉は憎悪を生むから。きれい事ではなくリアルに次の事件を防ぐためにも、呪詛(じゅそ)は口にしてはならないのです。

 人を巻き添えにしてこのクソみたいな世界と人生に別れを告げてやろうと考えている人に「死ぬなら一人で死ね!」と言ったら「そうか、ならやめよう」となるか。ならないでしょう。「一人で死ね(お前なんか死んでもいい)」と言われたら、そいつへの憎悪を込めて復讐(ふくしゅう)しようと思うかもしれない。だったら世間に当てつけをしてやろうと思うかもしれない。だから「死にたいやつは一人で死ね」には何の効力もないばかりか、むしろ新たな犠牲者を生む手助けをしてしまう呪いの言葉なのです。憎悪の発散と正義感を取り違えないで。

 今は無数のつぶやきがネット上で可視化されます。公共空間で可視化されたものは、たとえそれが匿名アカウントの憂さ晴らしであっても、数が多ければ「世論」に見えます。それにテレビなどで発言する人物が同調すれば、ますます「社会の声」のように見えてしまう。

 巻き添え殺人をしようと思っている人物だけでなく、生きるのがつらくて消えてしまいたいと思っている人にとっても(かつて私もそうでした)、「死にたいやつは一人で死ね」は冷酷な言葉です。死にたい人が生きようと思える支援と工夫が必要なのです。高止まりだった自殺者数が減ったのは、そうした地道な取り組みの成果であることを、どうか忘れないでほしいです。

AERA 2019年6月17日号

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小島慶子

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小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。共著『足をどかしてくれませんか。』が発売中

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