川崎の大量殺傷事件はじつに痛ましいものだった。罪のない児童と保護者が犠牲になり、犯人は自殺して裁きを逃れてしまった。そのような不条理は人々に大きなストレスを与える。練馬の事件はそこに「出口」を与えたかたちになっている。練馬の犠牲者が川崎の容疑者に重ねられ、被害者にもかかわらず心ない言葉を向けられる背景には、そのような社会的心理があるのではないか。

 8050問題はたしかに深刻である。注目され議論されるのはよいことである。しかし今回の2事件がその帰結であるかどうかはわからない。とくに川崎の事件については、別種の背景があった可能性もある。

 独身にも無職にもさまざまな事情があるし、ひきこもりを抱えて悩む家族も多い。そこには当事者だけの問題ではない、社会全体が抱える歪みが集約している。悪者探しの欲望に駆られて、彼らへの共感を断ち切ることがあってはならない。

AERA 2019年6月17日号

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東浩紀

東浩紀

東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

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