知的障害を持つが猫と話ができ、迷い猫の捜索で日銭を稼ぐナカタさん役の木場勝己。2012年の初演以来、当たり役として好演している[写真:KOS-CREA(国際交流基金提供)]
<br />
知的障害を持つが猫と話ができ、迷い猫の捜索で日銭を稼ぐナカタさん役の木場勝己。2012年の初演以来、当たり役として好演している[写真:KOS-CREA(国際交流基金提供)]
学生運動で命を落とした恋人を忘れられない佐伯さんを演じた寺島しのぶ。その後、図書館館長としてカフカ少年と遭遇する[写真:KOS-CREA(国際交流基金提供)]
<br />
学生運動で命を落とした恋人を忘れられない佐伯さんを演じた寺島しのぶ。その後、図書館館長としてカフカ少年と遭遇する[写真:KOS-CREA(国際交流基金提供)]

 蜷川幸雄が演出した数多い作品の中で、「海辺のカフカ」は特別な位置を占める。「蜷川らしさ」が際立つ傑作であると同時に、他の舞台とは異なる特徴もあるからだ。

【この記事の写真をもっと見る】

 劇中で、少年カフカと初老の男ナカタは旅をする。次々と変わる場面──カフカの父の書斎、商店街、長距離バスやトラック、図書館、森など──を、蜷川は全てリアルに作り、巨大なアクリル製の箱に入れた。箱は黒衣のスタッフが動かし、舞台上に現れては消える。まるで閉じ込められた時間が、「運命」に操られ、流れてゆくように。

 大胆な発想で物語を目に見える形にし、細部まで美しく磨きあげる。戯曲に書かれていることは全て具体的に見せる。そんな蜷川演出の特質と魅力が、ここにはあふれている。

 一方で、蜷川が他の多くの作品に盛り込んだ「猥雑(わいざつ)さ」は希薄だ。透明度の高い文章でつづられた村上春樹の小説の空気を、忠実に舞台化しようと考えたのだろう。

 その「海辺のカフカ」が今年2月、パリのラ・コリーヌ劇場で鮮やかによみがえった。

 演出家亡き後、佐伯役の寺島しのぶ、大島役の岡本健一ら、主要なキャストが入れ替わっての再演だ。でも、舞台の中には確かに蜷川がいた。

 寺島は、佐伯の神秘性に加えて、豊かな母性も感じさせ、オイディプス神話を踏まえた物語の大きさを、改めて強く印象づけた。岡本は、大島を知的で陰影に富む人物として、懐深く演じた。若い頃から何度も蜷川と共同作業をしてきた二人は、演出家の精神を引き継ぎ、創意に満ちた演技で役に新たな生命を吹き込んだのだ。もちろん初演以来、ナカタ役を担う木場勝己のおおらかな名演も健在だ。

 村上は、パリでの公開トークで、「日本の文化では、あの世とこの世は簡単に行き来できる」と語った。原作者のこの言葉は、出演者・スタッフがそれぞれの中にいる蜷川と対話しながら作った舞台と響き合い、深く胸に沁みた。(朝日新聞記者・山口宏子)

AERA 2019年6月3日号