■トキソプラズマによる操り

「トキソプラズマ症」は原虫であるToxoplasma gondiiによる感染症で、全世界の人口3分の1が感染者とされている。多くの哺乳類に感染するが、終宿主は科動物で、猫族の腸管内でのみ有性生殖する。母子感染により胎児に様々な障害をきたすが、成人ではほとんどの場合無症状である。しかし、トキソプラズマの感染によりヒトの行動が変わったり、精神を病むのではないかという説がある。

 チェコはカレル大学の進化生物学者Flegrは、1990年に自分がトキソプラズマに感染していることを知り、そういえばここ数年、車のクラクションなどに鈍感になったことに思い至った。以前から、トキソプラズマは感染したネズミは、猫の尿に対する嫌悪感と恐怖感を低下させ、最終宿主に食べられやすくなるという仮説がある。ヒトの場合も同様とすれば、説明のつく話である。その後の疫学調査で、トキソプラズマ感染者は反応時間が遅くなって、交通事故に遭う確率が2倍以上高まるとか、自殺率が増えるとか 統合失調症や双極性障害、うつ病、ADHD、パーキンソン病などの精神神経疾患を患うリスクが高まるという研究が次々に報告された。

 トキソプラズマが行動異常を起こすメカニズムは不明な点が多いが、一つには神経伝達物質のドパミン合成に必須の酵素チロジンヒドロキシラーゼの遺伝子をトキソプラズマ自体が持っていて組織に放出すること。さらにトキソプラズマが樹状細胞の中に寄生して神経伝達物質ガンマ-アミノ酪酸(GABA)を産生させ、恐怖感や不安感の低下が生じるという仮説。トキソプラズマ寄生によって精巣のLeidig細胞のLHレセプター発現が亢進(こうしん)して血中の男性ホルモンが上昇するという説がある。

 トキソプラズマに感染した雄ネズミは、血中のテストステロンに誘導されて非感染動物よりも積極的に雌に接触し交尾をするので、猫に食われるリスクは高まってもそれを補って余りあるほど多くの子孫を残すというのである。一方で、アミノ酸の一種トリプトファンと脳内神経伝達物質セロトニンの枯渇をきたすので、うつ状態になりやすいともいう。

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