安倍氏は会談で「米韓合同軍事演習をこれ以上遅らせずに、実施していくべきだ」と語った。韓国側の陪席者によれば、文氏の表情はにわかにかき曇り、不快感でいっぱいになった。文氏は「この問題は、我々の主権の問題だ。内政問題を、安倍首相が取り上げてもらっては困る」と反論した。

 韓国政府元高官は「文政権の最重要課題が南北関係。北朝鮮の問題で日本に口を出されるのが我慢ならなかった」と解説する。その後も、北朝鮮との対話を模索する文氏は、日本が「制裁の強化」を訴えるたびに、安倍氏に対するいらだちを深めていった。

 6月半ばに出版する拙著『ルポ「断絶」の日韓』(朝日新書)でも触れたが、文氏は「ホンパプ(一人ごはん)」が好きな性格で、それほど社交が得意でもない。自分から積極的に誤解を解く性格でないことも、日韓関係の改善が遅れる要因になったようだ。

 過去、最高の関係だった日韓首脳の組み合わせとしては、中曽根康弘首相と全斗煥大統領、小渕恵三首相と金大中大統領の組み合わせがよく挙がる。

 中曽根首相の場合、1983年1月の「電撃的」と言われた訪韓を果たしたとき、極秘で毎晩、風呂場で練習した韓国語によるあいさつを夕食会で披露。感涙した全氏が中曽根氏を誘って未明までうたい明かしたという。

●小渕首相は言ってのけた「あとは俺が説得する」

 小渕首相は、98年、難航していた日韓新漁業協定を合意に導いた。当時、竹島付近の海域の扱いを巡って、日韓事務当局が対立。新漁業協定の締結は至難の業とされたが、小渕氏は日本外務省や農林水産省に「事務方でとりあえずまとめろ。あとは俺が反対派を説得する」と言ってのけた。

 金大中氏も「ドラえもん」など、日本のアニメやテレビ番組などを韓国で放映する文化開放政策を推進した。政府内で「親日派だという反対が起きるのではないか」という懸念が起きると、金氏は98年4月、「恐れずに進めろ」と指示した。

 今、安倍氏と文氏に、先人たちのような熱意を感じることはできない。

 いくら市民レベルの交流が盛んでも、いったん国が態度を変えれば、すべてが水泡に帰すことは、古くは第2次大戦当時の日米関係、最近では米軍の高高度迎撃ミサイルシステム(THAAD)の韓国配備を巡って激減した中国人の韓国訪問客の例を取ってみれば明らかだ。

 両国関係をどう修復するのかは、2人の首脳の考えにかかっている。(朝日新聞編集委員・牧野愛博)

AERA 2019年5月27日号