原さんによれば、元号が昭和に改まって約2年後の1928年11月に行われた、昭和天皇の即位の礼と大嘗祭を行う「即位大礼」において、天皇は東京から京都まで東海道線をお召し列車で移動したが、天皇を神とする演出がなされたという。

「お召し列車が走る前後の列車は運休となり、不浄という理由で視界に入る駅のトイレなどは白い幕で覆われた。また東海道線と交差する私鉄は、電流が走っているということ自体が恐れ多いという理由で、電流そのものが止められた」(原さん)

 お召し列車がもっとも活躍したのは、敗戦翌年の46~54年の「戦後巡幸」だ。

 昭和天皇は占領下の沖縄県を除く全都道府県をお召し列車で回った。その際、各地に奉迎場が設けられ、日の丸が振られ、君が代が歌われ、万歳三唱された。昭和天皇は最晩年を除いて毎年列車に乗り、お召し列車での走行距離は17万キロ以上、実に地球4周超に及んだ。

 だが元号が平成になると、天皇のお召し列車の利用はぐんと減る。

 平成に入って初めてお召し列車が運行したのは1996(平成8)年。このときは天皇、皇后両陛下と来日したベルギー国王夫妻らを乗せ、JR両毛線の小山‐足利間を走った。先頭車両には、菊の紋章と日章旗とベルギー国旗──。国賓の案内という新しいスタイルのお召し列車が誕生したのだ。

 お召し列車の運行基準はあるのか。宮内庁は、こう回答する。

「御日程と利用可能な交通手段を総合的に勘案してご利用いただいております」

 その後も公式行事や国賓の案内などの際に使われてきたが、日章旗をなびかせたお召し列車が最後に運行されたのは17年11月28日。JR東京駅‐JR土浦駅(茨城県土浦市)を運行し、沿線では多くの鉄道ファンがカメラを構えた。平成になってから利用が減った理由について、先の原さんはこう説明する。

「新幹線や飛行機、高速道路を使った自動車など、他の交通手段が発達したため」

 平成が終わり、令和の世が始まった。お召し列車の役割はどうなるのか。

「移動手段としてのお召し列車の役割を考えると、平成の時と同様、天皇や皇后が利用する機会は少なくなるでしょう。またJR九州のななつ星やJR西日本の瑞風、JR東日本の四季島など、お召し列車に匹敵する豪華列車が次々と誕生し、誰もがお金さえ払えばお召し列車のような気分を味わえる時代になった。その役割はいずれ終わるだろう」(原さん)

 少し寂しい気もするが、新たな時代を最後まで走ってほしい。(編集部・野村昌二)

AERA 2019年5月13日号

著者プロフィールを見る
野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

野村昌二の記事一覧はこちら