お召し列車の歴史は、日本の鉄道開業までさかのぼる。

 1872(明治5)年9月12日(旧暦)、新橋‐横浜間に鉄道が開業した際、明治天皇が英国から輸入した車両に乗るが、これがお召し列車の最初とされている。77年2月、京都‐神戸間が開通すると、この日のために新造された「1号御料車(ごりょうしゃ)」で明治天皇はこの区間を往復した。

 当時、お召し列車の客車は「1号編成」と呼ばれ、天皇、皇后両陛下が乗車する御料車(1両)と、随行者が乗る供奉車(ぐぶしゃ=4両)とで構成された。御料車は「走る宮殿」と呼ばれ、天井、廊下を含め総絹張りなど、当時としては最高レベルの車両技術を駆使してつくられた。

 1987年4月に国鉄が分割民営化されると、1号編成はJR東日本に継承される。御料車は初代1号車から1960年に製造された3代1号車まで全18両がつくられるが、製造から年月が経ち老朽化が指摘されていた。かくして2007年、JR東日本が威信をかけてつくったのが冒頭で紹介したE655系だ。EはJR東日本、6は直流・交流の両区間対応、5は特急・急行用で、末尾の5は管理番号となる。製造コストについて同社は、「公表を差し控えさせていただきたい」と話す。

“鉄学者”として知られ、『昭和天皇 御召列車全記録』(新潮社)などを監修した放送大学教授の原武史さんは、お召し列車は天皇の権威づけの意味合いが強かったと話す。

「お召し列車は天皇の実態を隠し、見た目の豪華さで人々を圧倒してきた装置。江戸時代の大名行列でのかごのようなものです」

 大名行列では、大名はかごの中に入り、沿道の人々はかごに向かって土下座をしなければいけなかった。お召し列車も昭和初期までは、車両が通過する際は沿線の人たちに奉迎が義務づけられた。特に戦前は、ホームに整列し直立不動の姿勢を取り、列車が通過するまで最敬礼で見送らなければいけないなど、細かな指示が出されていたという。原さんが続ける。

「しかも、お召し列車が通過する直前には、同じ線路を同じ速度で走る『指導列車』と呼ばれる露払い列車を走らせた。線路の安全を確保し、お召し列車の到来を知らせるのが目的だが、指導列車が通過した時点で沿線の人々はもう敬礼をしていた」

次のページ