イスラエルが建てた分離壁を破壊するパレスチナの人たち(写真:gettyimages)
イスラエルが建てた分離壁を破壊するパレスチナの人たち(写真:gettyimages)

 2017年3月。分離壁が立ちはだかるパレスチナ自治区内のベツレヘムに、小さなホテルが開業した。経営者は、素顔も本名も不明で、ゲリラ的に出没する覆面アーティストとして知られるバンクシーだ。3階建てのホテルの外見は限りなく殺風景で、「ザ・ウォールド・オフ・ホテル(壁に囲まれたホテル)」と記された看板がなければ、ホテルには見えない。バンクシー自身が「眺めが世界最悪」と皮肉るホテルには10室もない。屋上にはイスラエル軍の許可がないと出られない。

 それでも予約が絶えないのは、バンクシー作品が飾られたおしゃれな内装や、パレスチナ人芸術家らの作品を展示するホテル内美術館、そしてホテルの目の前に立ちはだかる分離壁の存在があるからだ。ホテル内にある店舗「ウォール★マート」には、訪問客が分離壁への落書きをするための材料がそろっている。バンクシーも05年、武装したイスラエル兵の監視の中、複数の壁画を残している。

 バンクシーの目的はなんなのか。ホテルのホームページでは「反イスラエルの施設では全くない」と強調しており、「ここで働くパレスチナ人のスタッフたちは、心を開いて訪問してくれるイスラエル人の若者たちを特に歓迎する」と書いている。

 政治的には中立の立場だとしているものの、分離壁については「イスラエル政府による全長700キロ以上に及ぶ軍事構造物で、人によっては、生命にかかわる治安対策であり、アパルトヘイト(人種隔離)の道具でもある」と説明。分離壁への落書きについては「合法でないとは言えない」と微妙な言い回しだが、「そもそも壁の存在自体が国際的には違法だ」と記述するなど、かなり政治的にきわどいメッセージも掲載している。

「パレスチナの現状を売り物に商売をしている」「誰のための施設なのか」などの批判も一部からはある。ただ、少なくともパレスチナ、イスラエル双方の主張を認識したうえで、分離壁の賛否をめぐる議論を引き起こそうとするバンクシーの意図が随所に感じられるホテルになっている。不法移民の全てが犯罪者だと積極的に印象づけ、唯一の対応策が国境壁だと決めつけて社会不安をあおるトランプ大統領とは、正反対の取り組みだ。

 国境壁を建設する前に、すでに米国を自国第一主義という見えない壁で囲ってしまったトランプ大統領。壁をつくれば、それを壊そうとする人々との攻防になる。そんな歴史の教訓が、「トランプの壁」の実効性を暗示している。(朝日新聞GLOBE編集部・山本大輔)

AERA 2019年4月22日号より抜粋