【広島土砂災害の被災者】宮本孝子さん(79)/障害を負うまでは病気一つしたことがなかったが、今は昨日までできたことができなくなった。「泣かんようにしとります」 (c)朝日新聞社
【広島土砂災害の被災者】宮本孝子さん(79)/障害を負うまでは病気一つしたことがなかったが、今は昨日までできたことができなくなった。「泣かんようにしとります」 (c)朝日新聞社
よろず相談室理事長の牧秀一さん。「よろず先生」として知られるが、震災25年となる2020年1月に引退すると表明している(撮影/編集部・野村昌二)
よろず相談室理事長の牧秀一さん。「よろず先生」として知られるが、震災25年となる2020年1月に引退すると表明している(撮影/編集部・野村昌二)
【阪神・淡路大震災の被災者】岡田一男さん(78・左) 甲斐研太郎さん(71)/2人は震災の「語り部」として、依頼があれば積極的に話をしている。岡田さんは、職を失うかもしれないと思って障害者であることを何年も言えなかったという(撮影/編集部・野村昌二)
【阪神・淡路大震災の被災者】岡田一男さん(78・左) 甲斐研太郎さん(71)/2人は震災の「語り部」として、依頼があれば積極的に話をしている。岡田さんは、職を失うかもしれないと思って障害者であることを何年も言えなかったという(撮影/編集部・野村昌二)

 地震災害に遭い、体や心に障害を負う──。「震災障害者」と言われ、1995年の阪神・淡路大震災の支援者らの間で使われ始めた。ただ、行政上の定義はなく、被災自治体がこれまで掘り下げた調査をしてこなかったため、その実態はよくわかっていない。「災害の盲点」「忘れられた被災者」ともいわれるのはそのためだ。

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 国の支援は、73年成立の災害弔慰金法に基づき、災害障害見舞金として最大で250万円支給される。東日本大震災では岩手、宮城、福島3県で97人が受給した。本地震では4人。だが支給対象は、両腕・両足の切断や両目失明など1級相当に認定された最重度の障害だけ。

 広島市に暮らす宮本孝子さん(79)は、77人が犠牲になった2014年8月の広島土砂災害で、左足と夫を奪われた。

 50年近く暮らした自宅は土石流にのまれ、助け出された夫の敏治(としはる)さん(当時74)は3日後に亡くなった。

 今も週2回、リハビリで通院する。義足をつけたが、移動するたびに右足に体重がかかって激痛が走り、痛み止め薬は手放せない。そんな宮本さんも、災害障害見舞金の対象にはならなかった。市に相談すると、「両足切断でないと難しい」と言われた。宮本さんは言う。

「冷たいもんです」

 震災障害者が置かれた現状について、15年近く彼らを支援しているNPO法人「よろず相談室」(神戸市)理事長の牧秀一さん(69)はこう話す。

「地震や豪雨が起きると必ず障害者が生まれる。だが、その人たちは放置されている。行政からの支援はなく孤立無援であることは共通している。災害によって、家族の中である人は亡くなって、ある人は障害者になって、ある人は無事でいる。同じ家の中でかけ離れた人生を歩む人がいる。これはつらい」

 牧さんによれば、震災障害者とその家族の4割が自殺を考え、震災障害者の7割が生きがいを失ったという。

 阪神・淡路大震災では1万683人が重傷を負った。だが行政は追跡調査をせず、支援が遅れた。発生から15年が過ぎた10年度になって兵庫県や神戸市が実態調査に着手。障害者手帳の申請内容などを精査し、県内で震災障害者349人が判明した。だがこれは氷山の一角かもしれない。牧さんは、重傷者数や被災者アンケートから「阪神・淡路では2千人超はいる」と推測する。

 震災障害者が「見えない存在」となるのはなぜか。理由を牧さんはこう話す。

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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