よしなが:漫画に限らず、登場人物が個性的すぎないほうが純文学に近づくと思うんです。キャラが立っていないほうが、物語に没入できる。逆にキャラが立っていると、その人の動向に読者は一生懸命になります。そういう意味で、くらもちさんの漫画は純文学に近いんじゃないでしょうか。

──音楽高校を舞台にしたくらもちさんの作品『いつもポケットにショパン』は、母と娘の物語でもあると感じています。

くらもち:実際に親子喧嘩したときの気持ちを採り入れて描いてみたりしました。母は強い人なんですが、喧嘩ではすぐに折れる。そこが母親だな、と。よしながさんはいかがですか。

よしなが:両親は当時としては珍しい完全な共働きで、母は教師でしたが、父に家事を必ず半分やらせていました。「ここで譲ってはいけないんだ」と母が思っているのがわかりましたね。母は職場でのお茶くみも拒否した強い人。でも私はそこまで強くなくて、「みんなが自分だけで戦えるわけじゃないんですよ。だから弁護士を目指そうと思います」と、母に言ったことがあります。仕事として、誰かのためならばできることがありますから。まあ、なれなかったんですけど(笑)。

──最後に、あらためて少女漫画とはなんでしょうか。

よしなが:たとえば男女が逆転する世界を描いた『大奥』は、女性を読者として想定し、男性を意識しなくてよい雑誌だから、描けました。少女漫画というジャンルがなかったら、生まれなかった作品です。

くらもち:少女漫画は時代によって様々なジャンル、作品が生まれるので、一くくりにするのが難しい。けれど、それは少女漫画がつねに変化、成長し続けているからで、可能性の証しであるように私は感じます。

(構成/ライター・矢内裕子)

AERA 2019年4月8日号