「誰もがひとを自分より低く見ることはあると思います。けれども、昨今は人が個性を発揮する機会やバリエーションが減り、そのなかで、大学名や高校名、出身地が、ひとを見分けるバッジのようになってしまったと感じています」

 この本の中であぶりだされた「醜いもの」。それは、人と人を比べ優劣をつけ合う、誰もが心に持つ感覚かもしれない。

 その優劣の頂点に立つわかりやすいものとして、この物語のなかでも、そしておそらく現実の社会でもとらえられているのが、学歴社会のてっぺんに立つ「東大」だろう。優越感や劣等感、羨望や嫉妬、さまざまな要素が絡みつく「東大」という価値観は、当事者だけでなく社会全体がつくりあげたものだ。

 この本の出版後の反響は大きかった。多くの読者にわき起こったのは、強烈な胸のざわつきや不快感だったことがわかる。

 恋バナ収集ユニット、桃山商事の清田隆之さんも、いちはやく自身のSNSでこの本を読んだ衝撃を発信したひとりだ。清田さんは語る。

「作中の事件は、加害者たちが『東大生』という優越感を分かち合うため、被害者を道具にしたように見えました。個人としての責任感や当事者意識が希薄なまま、その価値観が暴走した。けれども、そこに被害を受けた一人の人間がいたことを、文学の力で徹底的に表現したのではと考えています」

 読後、心が騒ぐのは、誰にでもあるだろう他者を値踏みした経験、あるいは値踏みされた経験を鋭くえぐるからだろう。作中の誰が加害者で誰が被害者だったかを考えたとき、誰もが自分の胸に手をあてずにはいられないのだ。(編集部・澤志保)

週刊朝日  2019年4月8日号