「家具の色が緑って地味じゃない? 女児玩具だったらピンクとかでしょう」

 発売前夜、営業や問屋の反応は賛否両論分かれ、先行きの見えない状態だった。“ミスターシルバニア”こと、エポック社の取締役本部長の川島悟さん(61)はそう振り返る。川島さんは立ち上げ当初から開発に携わってきた。

 シルバニアファミリーはエポック社にとって初めての本格女児玩具だった。野球盤など季節商品が主流だったが、通常の月もコンスタントに売れる商品のラインを作ることが悲願だった。「ドールハウスを日本で売る。動物の人形で欧米の田舎の暮らしを再現する」をコンセプトに、食器やトイレは陶器、調理器具は金属で作るなど「本物感」にもこだわった。

「イメージしたのは100年くらい前の欧米の暮らし。当時、米国ドラマ『大草原の小さな家』やアーリーアメリカンがはやっていたんです」(川島さん)

 いざ発売すると、“おもちゃらしからぬ、おもちゃ”は店頭に並んだ瞬間から大ヒットした。店員からして「かわいい」と気に入り、供給が追いつかない状態だった。しかしそこにすかさずタカラが「3年2組のなかまたち」、バンダイが「メイプルタウン物語」で参入。すると今度はあっという間に飽和状態に。

 1985年に発売し翌年、130億円のピークに達したシルバニアの売り上げは87年から急降下し10分の1ほどに。ブームはわずか2年ほどで終焉し、他社は早々に市場から撤退した。が、エポック社は踏みとどまった。川島さんは言う。

「当時は今みたいなPOSのシステムがなかったので店頭在庫の状況把握が難しかったんです。営業が一店一店訪ねると、売れ筋商品が並んでいないことがわかり、それを地道に入れ替えていきました」

 加えて踏みとどまれたのは、海外販売が好調だったからだ。86年にイギリス、アメリカで発売すると、イギリスでは87年から3年連続でトイオブザイヤーを受賞。これで開発費をどうにかつなぐことができた、と川島さんは回顧する。

次のページ
最近ではブラジルや中東でも発売。韓国では…