下手な励ましは遺族を傷つける(AERA 2019年3月25日号より)
下手な励ましは遺族を傷つける(AERA 2019年3月25日号より)

 親の死後に押し寄せる手続きに追われているうちは踏ん張れても、親を失った悲しみや悼む気持ちにはどう向き合えばいいのだろう。

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 母の死をちゃんと悲しめなかった──。都内に住む会社員の女性(56)には今もその後悔が残っている。3年前の冬、87歳で亡くなった母親は、その1年前に大腸がんが見つかり、手術や治療を行ったが、そのうち抗がん剤が効かなくなり、緩和病棟に入った。

「その日」が近づいていると覚悟した女性は、死後の手続きを解説した本を購入。その2週間後、母親は息を引き取った。

 病院から危篤だと電話があったのは朝方4時半すぎ。すぐに駆けつけたが母親の最期には間に合わなかった。20分ほどお別れをした後、メイクや体を清めるなどエンゼルケアのために病室から出された。その間、電話で病院から紹介された近くの葬儀社に遺体搬送を依頼。しばらくして葬儀社が到着すると、看護師から病室を明け渡すよう言われ、慌ただしく片づけて病院を後にした。葬儀社へ移動し、そのまま通夜・告別式の打ち合わせへ。その後は買っていた本を参考に、たくさんの手続きや法事をこなした。仕事も忙しく、悲しむ暇はなかった。周囲にも「元気そうね」と言われることが多く、自分でも「母の死は乗り越えた」と思っていた。

 半年が過ぎた頃、張りつめていた糸が切れたように、何も手につかなくなった。食事も味を感じられず粘土を噛んでいるよう。仕事でもつまらないミスが続いた。朝起きられなくなり、うつと診断されて仕事を休職。休職初日、母の遺影の前で初めて声を上げて泣いた。

「この年になれば親の死も珍しいことではないし、自分でも平気だと思い込んでいました。悲しむ余裕がないまま過ごしているうちに、心が悲鳴を上げてしまったようです」

 親の死は誰もが避けては通ることのできないものだ。週刊誌では毎週のように「親が亡くなったら」だとか「死後の手続き」といった特集が組まれているが、心が置き去りになっていないだろうか。

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