JFEが契約交渉を求めたり、立ち退きを要求したりすることは長くなかっただけに、コインランドリー跡地の差し押さえや、土地の明け渡しを求める通知が届いたことは、住民にとって青天の霹靂だったという。

 2月下旬、池上町の集会所で話し合いをした住民たちは、みな不安を隠せない様子だった。在日コリアンの3世で、母親と同居する女性(62)は言う。

「うちも差し押さえられるんじゃないかって心配で。ただでさえ、いま日韓関係が悪いでしょう。疑心暗鬼になってしまって」

 また、在日コリアンの2世にあたる男性(79)はJFEの態度に憤る。

「住民税も、家屋の固定資産税も払っているんですよ。だから、土地の問題も解決したいと思って、10年ほど前、JFEに『買いたい』と言ったら『個人では受け付けられない』と返されたんです。ところが、コインランドリーの件があったので、今年に入ってまた連絡したら、『今度、状況を説明しに行きます』と言ったきり、折り返してこない。一体、どういうことなんだ」

 この日、集まったのは10人ほどだが、誰もが土地の問題を解決したいと考えていた。

 池上町で長年、ソーシャルワーカーとして生活支援を行ってきた三浦知人さん(64)は、「住民に対して“不法占拠”というロジックを使うことは、歴史認識が著しく欠如していると言わざるを得ない」と語る。

 現在、社会福祉法人「青丘社」で理事を務める三浦さんが、初めて池上町を訪れたのは74年。早朝、ごま油とニンニクの匂いが立ちこめる中、男たちが道端に座って、労働現場へと向かう車を待つ。やがて、路地は女たちのおしゃべりや、子どもたちが遊ぶ声でにぎやかになっていく。仕事からあぶれた男たちは、昼間から、焼き肉屋で女将にどやされつつ酒盛りをしている。

「在日コリアンが多い川崎でも、当時、そこまでの集住地区は幸区の戸手と池上町ぐらいしかなかったですね」

 日本の高度経済成長を支えた労働者の街である池上町には、仕事を求めて各地からやってきた日本人も受け入れた共生の歴史がある。こうした点も、忘れてはならないことだ。

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