エスニックブームにはじまり、「冬のソナタ」のヒットで韓国料理に注目が集まるまでの流れが、第2次激辛ブームだ。

 2000年代には、第2次ブームと重なるように第3次激辛ブームが起こった。有木研究員によると、ここが現在にもつながる激辛の転換点だった。

「1次、2次ブームは激辛といいつつ程よい辛さがウケていました。一方、これ以降は辛さのレベルが格段に上がっています」

 03年、東ハトがハバネロを練りこんだスナック「暴君ハバネロ」を発売。当時、ハバネロが世界一辛い唐辛子として話題を集めたことから、辛味スナック市場への参入を計画していた同社が目を付けた。

「ゴーグルにマスクの完全装備で試作を重ねて開発、口の中で暴れるようなウマ辛さを表現しました」(東ハト)

 外食業界では、閉店していた「中国料理 中本」が、激辛のタンメンを売りに「蒙古タンメン中本」として00年に再開、一世を風靡した。(編集部・川口穣)

AERA 2019年3月18日号より抜粋

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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