「このほかにも、ユーチューブに替え歌やボイストレーニングの動画を上げています。こっちは完成度の高い作品をネット空間に保存しておく『アルバム』みたいな感じですね」(同)

 これまで最もヒットしたのは、映画「アナと雪の女王」の劇中歌「雪だるまつくろう」を広島弁にアレンジして歌った動画で、再生回数は423万回を超えた。

 また16年には、本業のイラストレーションを生かし、自身の歌い手としての奮闘を描いたコミックエッセーを出版。さらに阿部さんの配信を見たプロのミュージシャンから誘われ、ワンマンライブも実現した。

 阿部さんは、「歌い手をやる魅力は、こうしたお金では得られない特別な体験ができることにある」と語る。

「私は、普段は仕事をしながら、母親として子どもを育てている一般人です。でも歌い手として活動しているから、こうしてライブでステージに立ったり、テレビ番組に出たり、一瞬でもキラキラした世界を体験できる。すごく夢があると思うんです」

 この日のライブに集まった歌い手やファンも、歌い手の活動を通じてSNSで知り合った人たちばかりだ。驚いたのは、観客の年齢層も幅広いこと。下は5歳の女の子から、上は60代の男性まで、約40人が一体となってライブを盛り上げた。

 友人らとライブを観に来たという30代の女性は「歌い手の魅力は親しみやすさ」と語る。

「歌も素敵だけど、トークも楽しい。ライブだけでなく、家でもツイキャスの配信を見て楽しめるのもいいですよね」

 また、60代の夫とライブに参加した50代の女性は、歌い手との交流が元気の素なのだそうだ。

「ファン同士でもつながったり、いろんな人と知り合う機会が増えて世界が広がった気がします」

 メディアに華々しく取り上げられる歌手とは別に、ただ「歌うことが好き」という共通点を持った人々が集まり、こうした世代を超えたコミュニティーが形成されていることも、歌い手文化の見逃せない点だ。

「歌が好きで、スマホが1台あれば、だれでも歌い手になれます。年齢も関係ありません。私も、70歳になってもやってると思いますよ」(阿部さん)

 そういえば、ここ何年も歌なんて口ずさんでいない。取材の帰り道、そう思って高校時代に好きだった曲を小声で歌ってみた。冷え込んだ東京の街が、何だか少しだけ暖かく感じられた。(ライター・澤田憲)

AERA 2019年3月18日号