「お父さんたちにとって船は家より大切なもの。長く男木で活動して信頼関係ができたからこそ、許されたと思います」(同)

 そんな、アーティストと島に住む人たちが一体となった作品で知られる男木島。この島はまたの名を「奇跡の島」と呼ばれることがある。島にとっての“奇跡”とは、過疎化が進む一方だった住人数が少しずつ増えていること。そのきっかけも、やっぱり瀬戸内芸術祭だった。

「13年の芸術祭で、会田誠さんや松蔭浩之さんたちの『昭和40年会』というグループが、休校になっていた男木小・中学校でワークショップを開いたんですね。夫の実家が男木島にあったため、これに参加した小学生だった娘が、『この学校に通いたい』と言い始めたんです」

 そう話すのは、現在「男木島図書館」を運営するWEBデザイナーの額賀順子さんだ。家族で男木島移住を模索したが、ネックとなったのは休校していた島の小中学校。子どものいるほかの移住希望者と学校再開を働きかけ、14年には学校再開が決定、他の2世帯とともに念願の男木島移住を果たした。

「島のために何かできないか」

 そう考えて16年には、移住の相談窓口も兼ねた男木島図書館を、古い民家を改築して開設。島で暮らす子どもたちや住人、また観光客に向けて、本の貸し出しをおこなっている。
「困ったことですか? 歯医者がないことくらい。病院のことで本当に困ったら救急艇も駆けつけてくれます。島の人たちもいつもニコニコしていい人ばかり。みんな好奇心が旺盛で、外に開かれているのが、いいところですね」(額賀さん)

 学校が再開したことで移住者が年々増え、今では約170人いる島民のうち約40人を移住者が占める。仕事はさまざま。高松の職場まで通う人もいれば、島の漁師に転職したり、なかには再開した学校で働く移住者もいるという。20~30代の家族が多く、ここ数年で4人の赤ちゃんも産まれた。

「そうそう。来週は米国からの家族も引っ越してくるんですよ」

 芸術祭が島に起こしたミラクルは、まだまだ続く。

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