萩尾:文明なんてあっという間に崩壊してしまう、世界の終わりかと思いましたね。私も暗い気持ちでいたんですが、あるとき「チェルノブイリでは菜の花を植えて、土壌を回復している」という話を聞いて。菜の花は私が通った小学校の周りにもあって、春になると一面が黄色くなるくらい花が咲いていました。日本全国で咲く菜の花のきれいなイメージが未来への希望につながる気がして、物語に登場させたんです。

倉田:震災だけでも大変なのに、原発事故が起こって。いったいどうなるんだろうと思っていたときに読んで、癒やされたというか、甘えているようですが救われる気がしました。

──作品の中には、チェルノブイリの少女が出てきます。

萩尾:戦争や災害が起こると、一番被害を受けるのはいつでも子どもです。チェルノブイリの事故が起こったときも、驚いていろいろな本を読みました。すると被曝した子どもたちが発症して大変な目に遭っていることがわかった。責任もないのに、巻き込まれた子どもたちにとっては本当に災難なことです。だから福島の原発事故が起こったときにも「子どもはこれからどうなるんだろう」と、気になって。チェルノブイリが最後ではなく、福島でも起こってしまった。そこで物語の中で、それぞれの土地で暮らす少女を出会わせることにしました。

倉田:ずっと「東京にいた自分には表現する資格がないんじゃないか」と考えていたところがあります。自分が手がけて良いのだろうか、と。『なのはな』を読んでいると、舞台のイメージが浮かんでくるんですが、最初は決心がつきませんでした。ただここ数年、日本で毎年のように災害が起こるようになり、20年に東京オリンピックが開催されると、震災の記憶も原発事故も、風化するかもしれない。それならば今年、上演しようと思ったんです。

萩尾:描いている間も、福島に関する記事を読んでいましたし、住んでいた人たちの暮らしがどうなっているのかを知ると、もう悲しくて悲しくて。普段、作品を描くときには物語と客観的な距離をとるのが習慣になっているのですが、この頃は、福島の話をするだけで泣けてしまうくらいでした。だから、自分にとっても、お祓いをするように、作品として描かなくてはいけない、という気持ちがありました。

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