「休みの日に秩父など田舎に気軽に行けるし、都内の文化施設にもすぐに行けるところが好き」(埼玉県朝霞市、40歳女性)、「近場で何でもそろい、物価は安め」(埼玉県在住、46歳女性)

 夏になれば神奈川や千葉の海へ、冬は群馬の温泉へ。東京ディズニーリゾートも近い。関東平野の中心部に位置し、どこにでも足をのばすことができる。

「埼玉県民は90分程度の移動なら通勤通学で圏内と考える。東京の人だと90分の移動は小旅行なのでしょうが、ぼくらにとっては日常。毎日地獄の通勤を経験しているから、休日に90分くらいどこかに行くのは全然苦ではないんです」(鷺谷さん)

 長時間の通勤通学は埼玉県民にとっての通過儀礼だ。出勤時の県民は、団結して遅延をくぐり抜ける戦友であると鷺谷さんは言う。

「電車が混む。東京に行くと何でもいっぺんに用事を片付けようと動き回りすぎる」(埼玉県出身、54歳女性)、「都内から電車で帰る時、埼玉県民は長時間乗る関係で座席の争奪戦がひどい。数駅で降りるような人(東京都民)はそこまで座席に固執しない」(埼玉県出身、42歳女性)

 それでも東京の狭い部屋に高い家賃を払って住むよりも、埼玉の一軒家に帰りたいという。長距離通勤という闘いを乗り越え、夜は自宅で羽を伸ばす。

「電車で赤羽と川口の間を流れる荒川を越え、東京から埼玉に入った瞬間に寝ます。急に落ち着くんでしょう」(鷺谷さん)

 埼玉県立歴史と民俗の博物館主任専門員兼学芸員の杉山正司さん(61)は、「埼玉県の県民意識を考えるには、もう少し古くからこの地域を見ていく必要がある」と言う。

 埼玉には埼玉(さきたま)古墳群があるように、古代に有力豪族がいたが国を統一するだけの力は持たず、逆に大和朝廷に仕えたことを誇りにしていた。平安時代後期以降、武蔵七党という地縁血縁を中心とした中小武士団が台頭するが、力をつけると執権北条氏に叩かれるから静かにしておこうという意識があった。

「時の権力者に抵抗せず、時流に乗って生き延びていくという土壌が江戸時代以前からある」(杉山さん)

 江戸時代、武蔵国には譜代大名が置かれた。譜代大名には転封(転勤)があり、薩摩の島津、仙台の伊達のようにずっとその土地に根付く大名がいなかったため、独自の文化、その後の県民性が育つ土壌が生まれなかった。

「歴史的に埼玉は大きな摩擦を好まない。外から来た人にも寛容。だからディスられても気にしない。覇権は取らないが『一所懸命』の武蔵武士のように、強(したた)かで懐深くに自主性があると思います」(同)

(編集部・小柳暁子)

AERA 2019年3月11日号